この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第134話に登場するエピソードから"女医"について関心を広げます。
[次子5歳年次作: Dr.くれは]
※ハッピーじゃなくてパッピーになってますね。
■Dr.くれは登場
第134話ではいよいよくれはが登場します。
くれは「ハッピー?ガキ共!!!」
はい、短めにしました。
今でさえ女性の医者は馴染みがありますが、歴史的にはなかなか女性の医者は世界史などでは登場しなかったのではないか?と、ふと思いました。
医学への女性の参画はいつからなのでしょう?
というわけで今回のテーマは"女医"です。
■女医の歴史
調べてみると古代からその存在が認められていたようです。確かに出産は女性だけで対処しているイメージありますね。
古代から中世の医学では、理論的な医学を学ぶ医師には男性が多かったが、身体機能への理解や薬草などを用いた実用的な医療は女性のほうが精通しており、両者は異なる存在だった[2]。
古代ギリシャには「産婆医者」「臍帯を切る女」「女医」の3つのカテゴリーの「治療する女」が存在した。
一方、古代ローマでは医療に心得のある女性をそのレベルに応じて呼び分けていたが、産科、婦人科、小児科に相当する女医は尊敬の対象となっていた。
古代ギリシアではすでに女医が存在していたようですね。
次に中世です。
サレルノ大学は世界史でも有名ですね。
ヨーロッパでは暗黒時代に医学は修道院がその主体となったが、婦人科の医学研究は羞恥心ゆえの忌避から後退を余儀なくされた[2]。
中世の大学では女性の入学はほとんど認められず、医学は男性聖職者のものとなったが、10 - 13世紀に一般信徒に門戸を開いた数少ない大学の一つであるサレルノ大学では女性の入学が許され、中世後期につながる婦人科や小児科の文献が著された。12世紀以降になり、専門教育を受けた女医と民間医療の産婆との分化が始まった。
■近代医学における女医〜ナイチンゲール、エリザベス・ブラックウェル
ナイチンゲールは確かに有名ですね。
医学上の治療における女性の参加(助産婦・家政婦は除いて)はフローレンス・ナイチンゲールなどによりもたらされた。
ナイチンゲールらは、それ以前男性が支配的だった医療分野に、看護の基本的な役割を示した。すなわち、衛生・栄養状態の不備による患者の死亡率を下げたのである。
ナイチンゲールは1852年、クリミア戦争後の聖トマス病院に勤務した。
エリザベス・ブラックウェル(1821年-1910年)は、アメリカで正式教育を受けて医学を実践した最初の女性となった。
■日本における女医
それでは日本はどうでしょう。
この女医という言葉ですが、平安時代にはあったようです。
平安時代に記された令義解には、「女医」の語が見え、女医が規定されていた[注 1]。女医 (律令制)を参照のこと。
1875年に法制化された医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していたが、同試験に基づいて国家資格を取得した日本人女性初の医師は、1885年に合格した荻野吟子である。
荻野以後、明治末年までに日本国内で医籍に登録された女性医師は、外国人を含めて約240名がいた[4]。
というわけで今回のテーマ"女医"に関心を広げてみました。
■参考文献①今回のテーマを深掘り
本文に挿入しました。
・筆者ベストチョイス①
聴き流しで歴史を学べるボカロシリーズ(幼稚園生からパパ&ママまで幅広くオススメ)
■あとがき
なんとか週一継続中です。
コツコツやっていきます。
ご覧いただきありがとうございました!受験勉強や教養の向上に活用いただければ幸いです。
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