歴史人物の子孫を育てる雑草パパ新聞

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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第215話 ビビの立志式から考える"元服"の世界史〜華夏民族から朱熹、織田信長、徳川家康から伊達政宗まで〜

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第215話に登場するエピソードから"立志式"について関心を広げます。

立志式を迎えるビビ
[次子5歳年次作: 後報 ]

立志式の準備をするビビ

第215話では平和取り戻したアラバスタでビビの立志式が催されます。

テラコッタ「…まあでもそれもわかりますけどね… なにせ…」
ビビ「…」
テラコッタ「2年も待たされた「立志式」…
      本来あなたが14歳で済ませなければならなかった式典です」

昔読んだときはさらっと流してしまいましたが、立志式ってなんでしょうね。
まあ14歳ということなので、大人になる儀式のような元服のイメージを持っていました。
考えてみればこういった儀式、いつから始まったのでしょう?
というわけで今回のテーマは"立志式元服"です。

立志式とは?

まずは概要、定義からいきましょう。
Wikipediaでは見つからず、Weblio国語時点で以下が見つかりました。

子どもが数え年で15歳になったことを祝う、主に中学校で開催される式のこと。式の目的としては、大人になるための自覚を深める、将来への具体的な目標を持たせるなどが挙げられる。式の内容は中学校ごとに異なるが、主に、将来に関する決意を表明する、有名人の講演会が開催されるなどがある。また、中学校により名称が異なり「立春式」や「元服式」と呼ばれることもある。

www.weblio.jp

やはり元服式とほぼ同義のようですね。
このキーワードでWikipediaを検索してみると、元服が出てきます。

元服(げんぶく、げんぷく)とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つである。

元服の風習は時代、地方、階級によって大きく異なる。堂上家以上は冠、以下では冠の代わりに烏帽子を着用した。中世以降は混同されて烏帽子を用いても加冠といい、近世には烏帽子も省略されて月代を剃るだけで済ませた。

「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。加冠の人を烏帽子親、元服する人を烏帽子子といった。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。
ja.wikipedia.org

なるほど、奈良時代からすでにあった儀式用ですね。
「頭に冠をつける」という意味があることも改めて再認識できましたね。

■歴史人物も経験した元服

何か歴史的な学び要素がないかと読み進めているとWikipediaでは以下見つかりました。

元服の儀そのものはまた、室町時代以降は民間にも普及した。元服をする年齢は幅があり、一般的には数え年15 - 21歳ぐらいであり、宮中では数え年12 - 18歳ぐらいであったとされる。一方、政略結婚や、戦国時代など家政の都合などから、数え年6 - 7歳ぐらいから元服する例もあった。一族始祖の元服年齢に合わせた氏族もあった。事例として伊達政宗は11歳、織田信長が13歳、徳川家康が14歳で元服している。実年齢は地方によっても大きく異なり、都、商都、村落共同体(農村、漁村など)によってまちまちであった。

ビビは14歳ということですが、実際には元服を迎える時期は幅があるようですね。

■女性の元服もあるの?

男性の元服のイメージが強いので、女性にもそういった儀式があるのかと見てみると、以下のように説明がありました。

数え年で12 - 16歳ごろに成人となる儀式として女性も元服に相当する儀式があった。なお、結婚と同時にこの儀式も執り行う事も多かったと考えられる。

平安時代から戦国時代頃までは、概ね初潮を迎えた女性は裳着(もぎ)を着て成人の証とし、概ね結婚が許可される証となっていた。なお、初期には裳着が無く、髪上げの儀式だけだったと言われる。

女子に裳を着せる役は「腰結」(こしゆい)と呼び、貴人、あるいは一族の長老などの男性が務めた。吉日の日取りにて、裳着の腰紐を結び、髪上げをし、「鉄漿親」(かねおや)[2]が立ち会い、女子は初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を描くことが許された(引眉)。

裳着以降は、小袖は白を、袴は緋を着た(現代に見られる巫女装束に似る)。鉄漿親は一族の目上の女性(伯叔母など)や親しい年配の女性が執り行ったが、年代が下るにつれ結婚と同時の儀式となったため、仲人が鉄漿親を兼ねることも多かった。

男性も女性も昔から節目節目でこういった儀式を経験してきたのですね。

元服にまつわる世界史要素

世界史的な要素も調べて見ましたが、パプアニューギニアのバンジーなどがあったものの世界史キーワードというほどではありませんでした。
しかし考えてみれば奈良時代に自然発生的に日本で生まれたとは考えづらく、さぞかし中国からもたらされたのではないかと思って調べてみると、以下見つかりました。

冠礼と成人儀礼との関係

 冠礼(かんれい)は、中国古代の「華夏民族」が、まもなく成年となる男子のために行った成人の儀式であり、成人儀礼の高級な形式として、中国の古代社会において重要な役割を発揮した。『儀礼・士冠礼』は、冠礼の複雑な過程を隅々まで記載しているが、時代の発展に伴い、魏晋以降は、冠礼の儀式は次第に簡略化され、その伝承は日に日に廃れていった。宋代においては、政府と朱熹などの人物がこれを盛んにするよう大いに呼びかけたが、冠礼の衰退の傾向に歯止めをかけることはできなかった。元明の時代には、冠礼はほとんど途絶えるに至った。清代になって、礼学の大家とその関連研究成果の出現に伴い、冠礼の儀式はようやく全面的に回復されることとなった。近代に入ると、西洋の学問の到来と特殊な歴史的原因の影響を受け、冠礼研究はさびれたが、1970年代になって、冠礼研究は再び社会の重視を受けるようになった。

spc.jst.go.jp

華夏民族」という言葉が出てきました。
朱熹はちなみに世界史キーワードですね。
いずれにしましても、この民族を調べてみましょう。

漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、華夏族と称されていたとされる。漢民族という名称は漢王朝(紀元前206年–220年)の時代から今日まで使われてきてはいるが、今でも本土の中国人は中国のことを華夏、中華文明を華夏文明と呼ぶことがある。学者によると、周王朝(紀元前1066年–256年)の創立者である武王が殷(商)王朝(紀元前16世紀–紀元前1066年)の末代の帝辛(紂王)を討ち取った後、中原に定住し、その一族を中国の伝説上の先聖王である神農・黄帝・堯・舜に因んで「華族」と称した。また夏王朝(紀元前21世紀–紀元前16世紀)の創立者の大禹の末裔が「夏族」と称されていたことから、中原に居住していた族群を「華夏族」と称するようになったと言われている。当時の彼らの文化は華夏文化あるいは華夏文明として近隣の東夷族北狄族、西戎族、南蛮族に賞され、模倣され、ついに中国大陸の東西南北へと拡大していった。このように数千年間に渡るプロセスにより、華夏系は他の民族系を吸収したり影響したりしながら今日の漢民族を形成してきたのである[1]。
ja.wikipedia.org

なるほど、漢民族がそう呼ばれる前の名称のようですね。
漢王朝はもちろんのこと、殷王朝や紂王、周王朝と世界史キーワードが複数出てきましたね。
元服もルーツを辿ってみると興味深いですね。

以上、今回のテーマは"立志式元服"でした。


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・筆者のお薦め参考書

聴き流しで歴史を学べるボカロシリーズ(幼稚園生からパパ&ママまで幅広くオススメ)

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
ONE PIECE公式漫画アプリ

・教科書、用語集、人物辞典他

・筆者ベストチョイス①

・筆者ベストチョイス②

カードゲームで覚える年号『タイムライン』シリーズと同じくカードゲームで覚える偉人『ソクラテスラ』

■あとがき

もう年末になってしまいました。。。
あと10記事くらいかけると追いつけるのですが。

ご覧いただきありがとうございました!受験勉強や教養の向上に活用いただければ幸いです。
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