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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第43〜68話 「くそお世話になりました‼︎!」サンジの挨拶から考える土下座の歴史〜魏志倭人伝から三跪九叩頭まで〜

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第43〜68話に登場するサンジの挨拶から土下座の歴史について関心を広げます。

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[長子作: 土下座で感謝を伝えるサンジ]

■ 「くそお世話になりました!!!」土下座での謝意

第68話ではクリークたちとの戦いを終え、いよいよサンジがルフィと共に旅に出ることになります。

ルフィ「いいのか?・・・あいさつ」
サンジ「いいんだ」
ゼフ「おいサンジ」
サンジ「!」
ゼフ「カゼひくなよ」
サンジ「!!!」
ルフィ「………」
サンジ「………‼︎ オーナーゼフ!!!」
サンジ「......長い間!!! くそお世話になりました!!! この御恩は一生!!!.........忘れません!!!!

何度読んでも泣けますね。ゾロがミホークに負けるところも泣けますが、前半の名場面の一つですね。

今まで口の悪い言い方しか出来なかったサンジがゼフの一言で素直に感謝の気持ちを伝えることになりました。その際にとった最大限の感謝の表現が今回のテーマ、土下座です。

■改めて土下座って何?

まずは概要、定義からいきましょう。
Wikipediaにはこうあります。

土下座(どげざ)とは、土の上に直に坐り、平伏して礼(お辞儀)を行うこと。


日本の礼式のひとつで、姿勢は座礼の最敬礼に類似する。
本来は極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す場合に行われるため、互礼ではなく、一方のみが行うが、土下座の意図に対して土下座された相手が謝絶を示すために同じ礼を行うことがある。


相手に向かい正座した上で、手のひらを地に付け、額が地に付くまで伏せ、しばらくその姿勢を保つ。
現代では土の上とは限らず、本来は座礼をしないような床(洋間の床など)や舗装地などで行われるものも土下座と称される。


原則としては相手の位置以下の高さから行うべきものではあるが、多数を相手に行う際に相手の位置まで下りて行うと一部からしか見えなくなってしまう場合などで、変則的に壇上などの高い位置から行われることもある。

土下座 - Wikipedia

■土下座っていつからあるの?古くは『魏志倭人伝』にも

さてこの土下座ですが、日本人はいつから始めたのでしょうね。
調べてみると邪馬台国の時代から記録があるようです。

魏志倭人伝』には邪馬台国の風習として、平民が貴人と道端で出会うと、「道端で平伏して拍手を打つ」との記載があり、古くからの日本の習慣であったと思われる。古墳時代の埴輪の中には平伏し、土下座をしているようなものも見受けられる。
土下座 - Wikipedia

ちなみに『魏志倭人伝』は中国で書かれた書物ですね。西暦280年から297年の間に書かれたもののようです。
そもそもかの有名な『三国志』の一部なんですね。

魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称[1]。

当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。
三国志』は、西晋陳寿により3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられた[2]。

魏志倭人伝 - Wikipedia

ちなみに『魏志倭人伝』の説明に出てくる渡邉義浩先生に学生時代に世界史を教えていただく機会があり、今思えば本当に有り難いことだったと思います。
渡邉義浩 - Wikipedia

復習まで邪馬台国といえば卑弥呼ですね。

邪馬台国(やまたいこく / やまとのくに/やまいこく)は、2世紀~3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。

邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合の都があったと解されている。

古くから大和国(やまとこく)の音訳として認知されていたが[注釈 1]、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読した[注釈 2]ことから「やまたいこく」の読み方が広まった。

邪馬台国の所在地については21世紀に入っても議論が続いている。主に九州説と近畿説が存在する。
邪馬台国 - Wikipedia

■世界史上でみる土下座といえば"三跪九叩頭"

さて、この土下座ですが世界史的にはどんなキーワードが思い浮かぶでしょうか?それこそ中国史のご専門だった渡邉先生にも世界史を習いましたので、このキーワードを習いました。
"三跪九叩頭"です。

三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい、繁体字:三跪九叩頭之禮、拼音:Sān guì jiǔ kòutóu zhī lǐ、満州語:ᡳᠯᠠᠨ
ᠨᡳᠶᠠᡴᡡᠨ
ᡠᠶᡠᠨ
ᡥᡝᠩᡴᡳᠨ ᡳ
ᡩᠣᡵᠣ 、転写:ilan niyakūn uyun hengkin i doro)は、清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つ。単に三跪九叩頭または三跪九叩と呼ばれる場合もある。
三跪九叩頭の礼 - Wikipedia

三回跪(ひざまず)いて、毎回三回額を地面に打ち付けるので合計9回頭を叩くことになるんですね。

叩頭 (hengkin) とは額を地面に打ち付けて行う礼である。三跪九叩頭の礼では、

「跪」の号令で跪き、
「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。

「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。

「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。

「起」の号令で起立する。
これを計3回繰り返すので、合計9回、「手を地面につけ、額を地面に打ち付ける」こととなる。

ちなみに清についても見ておきましょう。

清(しん)、または大清帝国(だいしんていこく)は1616年満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。

首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語でᡩᠠᡳ᠌ᠴᡳᠩ
ᡤᡠᡵᡠᠨ(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(拼音: Dàqīng、カタカナ転写:ダァチン)と号した。

清朝、清国、清王朝、大清国、大清ともいう。
清 - Wikipedia

■あなたなら出来ますか?"三跪九叩頭"

さて、この"三跪九叩頭"ですが、例えば海外出張や部活の遠征で相手国に行ったとしましょう。相手国から挨拶にと"三跪九叩頭"を要求されたらどうでしょうか。
相手の文化だからと受け入れてやりますか?それとも自国の価値観にそぐわないので断りますか?

歴史を見てみましょう。

李氏朝鮮 編集
「丙子の乱」、「迎恩門」、および「中国朝鮮関係史」も参照
1636年、後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に君臣関係による朝貢と服属を求めた。

朝鮮の国王仁祖が拒絶したため、ホンタイジはただちに兵を挙げ、朝鮮軍はなすすべもなく45日で降伏した。

和議の条件の1つに大清皇帝功徳碑を建立させた。

仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かって三跪九叩頭の礼を行い、許しを乞うた。

やはり感覚的に嫌ですよね。
なんで頭下げなあかんねん、となるわけですが、断るとこのように武力で強制されるという恐ろしい時代です。

次にイギリスの事例です。
ちなみに世界史授業でこのエピソードを渡邉先生から伺いました。

イギリス 編集
詳細は「広東システム」を参照
1793年、イギリスの外交官ジョージ・マカートニーは、乾隆帝に謁見した際に三跪九叩頭の礼を要求されるが、これを拒否してイギリス流の儀礼を押し通した。

貿易改善交渉、条約締結は拒絶され、帰国した。

1813年にはウィリアム・アマーストがやはり三跪九叩頭の礼を拒否し、嘉慶帝への謁見が許されなかった。

さすがイギリスであります。
ただ調べてみると三跪九叩頭の礼はしなかったものの、跪いて手に口づけすることは英国流としてしたようです。

イギリスからでは初の使節ということで歓迎され、9月に熱河離宮で避暑滞在中の乾隆帝に謁見する。

華夷秩序に基づく中華世界において、周辺諸国からの外交使節は「皇帝の徳」を慕っての朝貢使節と認識され、マカートニーは朝貢使節が皇帝に対して行う中国式の儀礼である三跪九叩頭の礼(3回跪き、9回頭を地に擦りつける)をするよう要求される。

彼はこれを拒否するが、最終的には清側が譲歩する形で、イギリス流に膝を屈して乾隆帝の手に接吻することで落ち着いた。

だが貿易改善交渉、条約締結は拒絶され、帰国した。英中貿易の全権大使は次代のウィリアム・アマーストに引き継がれた。
ジョージ・マカートニー (初代マカートニー伯爵) - Wikipedia

■ 三跪九叩頭への明治政府の対応は?

Wikipediaを読み進めていくと、英国の対応から時代が進んで明治政府の対応が書かれていました。

日本(明治時代) 編集
1873年、台湾事件の処理と日清修好条規の批准書交換に赴いた外務卿副島種臣は、同治帝に謁見する前に清朝側から三跪九叩頭の礼を要求されたが、自分は朝貢国の使節ではなく、対等な国家の全権大使であることを強調した。 

当時、北京に駐在した欧米列国の公使らも、皇帝の成婚と親政を祝いするという名分を掲げて対等な儀式に従って謁見を試みたが、再三成功しなかった。

副島は古典(五倫)を引用して日清関係は「朋友之交」だといい、立礼を主張しながら、帰国も辞さないという強硬な態度を見せた。

結局、謁見問題について妥協していた李鴻章の了解を得て、ついに同年6月29日に当初の要求どおりに副島は立礼を通じて同治帝を謁見した。

これは前近代以来の中国史上初めて正式に立礼で皇帝に謁見を済ませるという、画期的な出来事であった。

我が国の先人たちも立派ですね。
国際化すると自己主張同士がぶつかりますが、なんでもかんでも受け入れるのではなく、自国の文化にそぐわなければ時には毅然とした態度が必要となりますね。

但し、毅然とした態度を貫くためにも真の実力と適切なロジックが必要ということでしょうか。
土下座もなかなか奥が深かったです。

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
ONE PIECE公式漫画アプリ

・教科書、用語集、人物辞典他

■あとがき

ひとから強要される土下座は嫌ですが、心から謝意を伝える土下座は心動かされるものがありますね。

ちなみに現代社会では土下座の強要は罪になるようですので皆さまお気をつけて。

土下座を強要することは強要罪にあたり、店員に土下座をさせた画像をTwitter上にてアップロードした客が逮捕されており、以後刑事事件化に至る事例が増加している[3]。

その事件の直前まで放映されていたテレビドラマ『半沢直樹』にて主人公が土下座を強要するシーンがあり、疑問を呈する意見も存在している[4][5][6]。
土下座 - Wikipedia

いよいよサンジ編もおしまいです。次回からアーロン、ナミ編です!これもまた歴史キーワードとのつながりが続出する深いエピソードですね。

ご覧いただきありがとうございました!
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