この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第22話『あんたが珍獣』からダーウィンについて関心を広げます。
[長子作: 島の住人 ガイモン]
■ルフィの誘いを断るガイモン
ルフィはきっと海賊王になるのでしょうが、その誘いを断った登場人物は意外に少ないのではないでしょうか。なかなかルフィから誘うこともないですしね。
ルフィ「…本当に この島に残るのか? おっさん」
ガイモン「ああ 誘ってくれて嬉しかったぜ…!!宝はなくなったが"森の番人"は続けてェんだ」
ナミ「どうして?」
ガイモン「あの森にはな 珍しい動物がたくさん住んでるんだ」
ナミ「ああ!変な…ヘビとかブタとかね」
島、珍獣、このシーンで思い浮かぶのはチャールズ・ダーウィンであります。
Wikipediaにはこうあります。
チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin ([tʃɑːlz 'dɑː.wɪn]), 1809年2月12日 - 1882年4月19日)は、イギリスの自然科学者。卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築。
■『進化論』で有名なダーウィンも航海していた!
進化論があまりにも有名なので生物学社かと思いきや、もともとは地理学者だったのですね。
ケンブリッジでキリスト教学を学んでいたのに進化論に辿り着けたのはすごいですよね。
私の留学中の友人でも「生物は神様が造られたものなので進化論は信じない」という意見を持つ方もおりました。
日本ではなかなか聞かない意見ですが、海外に出ると意外とこんな意見を耳にすることもあるものです。
ダーウィン自身もノアの方舟と矛盾する、といった葛藤はあったのでしょうか。
エディンバラ大学で医学、ケンブリッジ大学でキリスト教神学を学んでいるときに自然史への興味を育んだ。
5年にわたるビーグル号での航海によって、チャールズ・ライエルの斉一説を理論と観察によって支持し、著名な地理学者となった。
またその航海記によって人気作家としての地位を固めた。
ビーグル号航海で集めた野生動物と化石の地理的分布は彼を悩ませ、種の変化の調査へと導いた。
そして1838年に自然選択説を思いついた。
そのアイディアは親しい数人の博物学者と議論されたが、より広範な研究に時間をかける必要があると考えた。理論を書き上げようとしていた1858年にアルフレッド・ラッセル・ウォレスから同じアイディアを述べた小論を受け取った。
二人の小論は即座に共同発表された。
1859年の著書『種の起源』は自然の多様性のもっとも有力な科学的説明として進化の理論を確立した。『人間の由来と性に関連した選択』、続く『人及び動物の表情について(英語版)』では人類の進化と性選択について論じた。
植物に関する研究は一連の書籍として出版され、最後の研究はミミズが土壌に与える影響について論じている。
■ダーウィンは「100名の最も偉大な英国人」第4位!
全く知りませんでしたが、ダーウィンって尊敬されてるんですね。上位3名も気になりますね。
ダーウィンの卓越性はみとめられ、19世紀において王族以外で国葬が執り行われた五人のうちの一人となった。ウェストミンスター寺院でジョン・ハーシェルとアイザック・ニュートンの隣に埋葬されている。2002年BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で第4位となった。
■「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信させた長女の死
ノアの方舟と進化論の関係が気になったのでもう少し読み進んでみるとWikipediaにも記載がありました。
身近な親族の死、しかも長女の死がダーウィンの思想に決定的な影響を与えたようです。信じるだけでは救われない、ということでしょうか。
典型的な手紙魔だったダーウィンは生涯で2000人と手紙による意見交換をし、そのうち約200人が聖職者だった。
決して生物に対する神学的な見解を否定したわけではなかったが、しかしもっとも愛した長女アン・エリザベス(アニー)が献身的な介護の甲斐無く死ぬと、元来信仰心が薄かったダーウィンは「死は神や罪とは関係なく、自然現象の一つである」と確信した。
ダーウィンの家庭は英国国教会を受け入れておらず、そのうえ祖父、父、兄は自由思想家だったが、ダーウィン自身は聖書の無誤性を疑わなかった。
英国国教会系の学校に通い、聖職者になるためにケンブリッジで神学を学んだ。
ウィリアム・ペイリーの自然のデザインは神の存在の証明であるという自然神学を確信していた。
しかしビーグル号航海の間に疑いを持ち始めた。
例えばなぜ深海プランクトンは誰もそれらを目にすることがないのに創造されたのか?
イモムシをマヒさせ、生きたまま子どもに食べさせる寄生バチのような存在がペイリーの慈しみ深いデザイン論といったいどのように調和するのか?彼はしばらく正統な信仰を持ちつづけ、道徳の根拠として聖書を引用したが、旧約聖書が述べる歴史には批判的だった。
種の変化を調査しているとき博物学の友人たちがそのような考えを、神授的な社会秩序をむしばむ恐るべき異教で、英国国教会の特権的な地位を批判するための反国教会主義者か無神論者による急進的な主張の一種だ、と考えていることを知っていた。
ダーウィンは宗教を民族の生き残り戦略であると書いたが、まだ神が究極的な法則の決定者であると思っていた。
しかし1851年のアニーの死は失われつつあったキリスト教信仰への終わりを意味した。
地元の教会の人々とともに教区の仕事を手伝い続けたが、家族が日曜日に教会に通う間は散歩に出かけた。
そのころには痛みや苦しみを神の直接的な干渉と考えるよりも、一般的な自然法則の結果と考える方がよいと思っていた。1870年代に親族に向けて書かれた『自伝』では宗教と信仰を痛烈に批判している。
というわけで今回はガイモンさんからダーウィンさんに関心を広げてみました。
■参考文献①今回のテーマを深掘り
■あとがき
もっと珍獣絡みの歴史秘話を書こうかと思いましたがダーウィンがあまりにも深くて書ききれませんでした。
ダーウィンの生涯自体も大変詳細にWikipediaに記載ありますので是非ご覧ください。
ご覧いただきありがとうございました!
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