この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第21話『街』のエピソードから海からの来訪者による被害について考えます。
[長子作: 21話ルフィたちに感謝する町長]
■ 海から来た人たちによる被害
無事にバギー海賊団から村を救ったルフィたちですが、出航してからこんな会話をしています。
ナミ「何ですって 宝をおいてきたぁ!?
あんたには半分預けておいたのよ!?
5百万ベリーよ!?」
ルフィ「ああ だって町ぶっ壊れて直すのに金がいるだろ」
ナミ「あれば私の宝なの!!!」
実際大航海時代における先住民の被害ってどうだったんだろう、と考えた時に世界史的にはコルテスやピサロを思いだしました。
しかしそれ以前に記載すべきはこの人であろうと思うに至りました。
そう、大航海時代といえばこの人、コロンブスです。
Wikipediaにはこうあります。
クリストファー・コロンブス(伊: Cristoforo Colombo[注 1]、羅: Christophorus Columbus[注 2]、西: Cristóbal Colón[注 3]、葡: Cristóvão Colombo[注 4]、英: Christopher Columbus[注 5]、1451年ごろ - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。
探検家・航海者までは世界史で習ったイメージですが、Wikipediaでは「コンキスタドール、奴隷商人」と続きます。
「奴隷商人」こんなイメージありました?
もしかしたら私が学生の頃に世界史の先生はこの事実も教えてくれていたかもしれませんが、
受験的にはやはり「新大陸発見」であり、注意点としてそれはあくまでヨーロッパ人の見方である、
といった部分が印象に残っています。
改めて調べてみるとひどいのなんの、今回だけでは書き尽くせない極悪非道っぷりでした。
その点今まで書いてきたマゼランとは全く性質の異なる航海者だったと感じられます。
■奴隷商人、コロンブス
1492年10月、コロンブスは第一回目の航海でサンサルバドル島に到着します。
コロンブスはその島に上陸し、ここを占領してサン・サルバドル島と名づける。
最初に上陸した島でコロンブス一行は、アラワク族インディアンたちから歓待を受ける。
アラワク族は船から上がったコロンブスたちに水や食料を贈り、オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものを持ってきた。
コロンブス一行はそれをガラスのビーズや鷹の鈴と交換した。しかしコロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかった。
彼はこう書き残している[26]。
「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、私は力ずくで原住民の何人かを連行した」「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。
私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を触って怪我をした。
彼らは鉄をまったく持っていない。
彼らの槍は草の茎で作られている。
彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう。50人の男達とともに、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた」
「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して『いいえ』と言わない。
逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。
彼らは何を聞いてもオウム返しにするだけだ。
彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。
我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した」
1回目の航海でこの様子でして、2回目はさらにやることがエスカレートします。
▪️コンキスタドール(征服者)、コロンブス
何故か無意識に世界の偉人の1人のように捉えていましたが、現在の価値観からすると到底許容されない人間だったようです。
確かに世界人権宣言もない時代において、人類全体の民度のバラツキは現代からすれば考えられないものだったのでしょう。
Wikipediaにも中立性と正確性への疑問が呈されているとの注意書きがあるので、多様な評価があるようです。
1493年の9月に17隻1,500人で出発したコロンブスの2度目の航海は、その乗員の中に農民や坑夫を含み、植民目的であった。
11月にドミニカ島と名づけた島に到着したが、前回作った植民地に行ってみると基地は原住民であるインディアンにより破壊されており、残した人間はすべて殺されていた。
コロンブスはここを放棄して新しく「イサベル植民地」を築いた。
しかし白人入植者の間では植民地での生活に不満の声が上がり、周辺諸島ではアラワク族、タイノ族、ルカヤン族、カリブ族などのインディアンの間で白人の行為に対して怒りが重積していた。これに対し、コロンブスの率いるスペイン軍はインディアンに対して徹底的な虐殺弾圧を行った。
行く先々の島々で、コロンブスの軍隊は、海岸部で無差別殺戮を繰り返した。
まるでスポーツのように、動物も鳥もインディアンも、彼らは見つけたすべてを略奪し破壊した。コロンブスがイスパニョーラ島でしばらく病に臥せると、コロンブスの軍勢は凶暴性を増し、窃盗、殺人、強姦、放火、拷問を駆使して、インディアンたちに黄金の在処を白状させようとした。
インディアンたちはゲリラ作戦でコロンブスに報復を試みたが、スペイン軍の軍事力と彼らがばらまく疫病はインディアンの想像をはるかに超えていた。
最終的に彼らは最善の策は「逃亡」であると決めた。
置き去りにされた作物は腐るにまかされ、やがてインディアンたちを飢餓が襲ったのだった。コロンブスが何か月も病に臥せっている間、コロンブスの軍勢はやりたい放題の大虐殺を続けた。
コロンブスが快復するまでに、5万人以上のインディアンの死が報告されている。
やがて完全復帰したコロンブスの最初の仕事は、彼の軍勢に対し、略奪を組織化することだった。1495年3月、コロンブスは数百人の装甲兵と騎兵隊、そして訓練された軍用犬からなる一大軍団を組織した。
再び殺戮の船旅に出たコロンブスは、スペイン人の持ち込んだ病いに倒れ、非武装だったインディアンの村々を徹底的に攻撃し、数千人単位の虐殺を指揮した。コロンブスの襲撃戦略は以後10年間、スペイン人が繰り返した殺戮モデルとなった[29]。
コロンブスは、イスパニョーラ島のインディアン部族の指導者と睨んでいた一人の酋長を殺さずに、引き回しの刑と投獄のあと、鎖につないで船に乗せ、スペインへ連行しようとした。
しかし他のインディアンたちと同様に、この男性は劣悪な船内環境の中、セビリアに着く前に死んでいる。
▪️史実の被害はバギー玉ではすまない コロンブスの功罪、表と裏の評価
功績は教科書に書いてあるような内容が一側面、もう1つの側面としてはやはり征服者、ということなのでしょう。
殺されていった先住民からすればコロンブスはどう映ったのでしょう。
世界史の教科書だけでは学びきれないことがたくさんありました。
一般的にコロンブスの「功績」はアメリカ大陸を「発見したこと」と語られることが多いが、アメリカ大陸にはこれ以前からインディアンやインディオなどのモンゴロイド系先住民族が1万年以上前から居住し独自の文明を築いていたことを考えると、「発見」という言葉自体がヨーロッパ中心で世界を見る視点に立脚した発言と言わざるをえない。
従って、中立的な視点では「大西洋航路の発見」、つまりヨーロッパとアメリカ大陸を結ぶ「航海路を発見した」というのが、その真の功績であると言える。
(省略)
1492年の「新大陸」へのコロンブスの上陸時に約800万人いたインディアンの人口は、1496年の末までに、その3分の1までに減った。さらに1496年以降、死亡率は倍加していった。量的にもスケール的にも、コロンブスはエルナン・コルテスやフランシスコ・ピサロに並ぶ、虐殺目的で戦争を楽しんだもっとも悪名高いコンキスタドール、征服者の一人と言えるだろう[32]。
町長さんの町、ルフィたちに救われてよかったですね。人類の史実は実に悲惨であります…。
■参考文献①今回のテーマを深掘り
■あとがき
マゼランを調べている時は人柄とか後世の評価を読んでいて何かと尊敬するところがあったのですが、コロンブスに関しては好感度が急降下していきました。みなさんはどんなイメージをもたれていたでしょうか。多大な犠牲の上に人類の歴史、現在があるのだなぁと改めて考えさせられました。
ご覧いただきありがとうございました!
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