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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第42話 ヨサクとジョニーから興味を広げる壊血病の歴史!ナミの知識は東インド会社やクック艦長を凌ぐ18世紀級⁉︎

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第42話に登場する壊血病からリンド軍医とクック船長、そしてギルバート・ブレーンについて関心を広げます。


[長子作: ヨサクとジョニー]

■ヨサクを苦しめた壊血病

42話でジョニーとゾロが思わぬ再会を果たしますが、ジョニーの相棒であるヨサクは瀕死の状態…。

ナミ「壊血病よ」
「手遅れでなきゃ数日で治るわ」
ジョニー「本当ですか姐さんっ‼︎」
ナミ「その呼び方やめてよ」
「一昔前までは航海につきものの絶望的な病気だったの でも原因はただの食物性の栄養の欠乏 昔の船は保存の効かない新鮮な野菜や果物を載せてなかったから…」

今流行中のコロナウイルス然り、いかに強靭な肉体を備えていても病には敵わないのが恐ろしいですね。

壊血病の実際

さて、顔から血が出て恐ろしい症状ですが実際はどうなのでしょう。
Wikipediaにはこうあります。

壊血病(かいけつびょう、英: scurvy、独: Skorbut)は、出血性の障害が体内の各器官で生じる病気でビタミンC欠乏状態が数週間から数カ月続くと症状が出現する[1]。
成人と小児では症状が異なる。
壊血病 - Wikipedia

ビタミンCって大事なんですね…

ビタミンCの欠乏によって生じる。

ビタミンCは体内のタンパク質を構成するアミノ酸の1つであるヒドロキシプロリンの合成に必須であるため、これが欠乏すると組織間をつなぐコラーゲンや象牙質、骨の間充組織の生成と保持に障害を受ける。

これがさらに血管等への損傷につながることが原因である。

細かくはよく分かりませんが、ビタミンCが体の組織をつなぐために必要なんですね!

■症状の記録はローマ時代から、壊血病の認識は大航海時代から

さてこの壊血病の歴史を見てみましょう。

壊血病古代ギリシャ時代に「ジステンパー」名義で類似の症例が知られ、ローマ軍団がヨーロッパ北部を行軍中にこれが発生した記録があるが、明確に壊血病として記録が残るのは15世紀末の帆船時代が始まってからである[注釈 1][5]。

この時代ヨーロッパ諸国の新航路開拓が進んだのだが、こうした「新航路」は旧知の陸沿い・島伝いルートを使わずにろくに寄港せず数カ月以上の長期間航海をする者が多く、当時長期間保存がきく食品がビタミンCが失われた乾物か塩漬けのものばかりであった[注釈 2]ため、こういった船の乗員に壊血病が蔓延した[注釈 3][6]。

(省略)

1776年の夏にアメリカ独立戦争が始まり、イギリス近海の防衛のために水兵が増加されたこともあり船内の環境は悪化し、クリストファー・ロイドとジャック・クルーターの『医学と海軍』にて船長たちから慢性的に壊血病になっている水兵が多いことを嘆く報告が出された。

1780年の偵察に近海で8月半ばから約2カ月半海上にとどまっていただけなのに乗員2400人(全体の1/7)が壊血病で倒れてイギリス本国に戻る事件まで発生した。

もっとも他の国もそれは同じで、これ以前に1779年8月にフランス・スペイン連合艦隊イギリス海峡で合流して攻撃に向かった際、フランス艦隊の2/3の乗員が壊血病で戦えなくなり帰投していたという惨事まで起きていた[18]。

確かにビタミン不足は海である必要はないので、栄養不足になれば大陸でもどこでも発症するわけですね。歴史的にローマ時代というだけで、ちょっとやんちゃな冒険をしたアウストラロピテクス北京原人クロマニヨン人らも発症していたかもしれないですね。

18世記後半まで壊血病が影響及ぼしていたのはなかなか驚きですね。フランス艦隊の2/3ってかなりの戦力ですよね。

大航海時代が顕在化させた壊血病

次に壊血病が歴史的に注目された時代を見てみましょう。そして、まず何故ヨーロッパだったのか?ですね。

まずアラビアや中国といった地域では船乗りが多くても壊血病が少ない(ヨーロッパでもノルウェーの船員は壊血病にあまりならなかった)のに対し、ポルトガル・スペイン・フランス・イギリス・ロシアの船員には蔓延するなど場所により流行が違った事があった。

これは、あまり壊血病にかからない地方の船乗りは航路の都合でこまめに新鮮な食品を港に寄って補給していた一方、該当諸国では大航海時代の到来で船の大型化と航海の長期化が著しく、壊血病の阻止ができるほど十分な量の新鮮な食品を積めなかったためであった[7]。

さらに問題解決を遅らせる原因としてビタミンC(アスコルビン酸)の不安定さと、人体に常時必要なものがあってこれが不足することで起きる欠乏症自体が当時知られていなかったことで、野菜や果物のビタミンCは切ったり傷がついたりして空気に触れた場合や加熱調理で多量に失われ、海軍の厨房で多かった銅鍋は銅とアスコルビン酸の反応でさらにビタミンCを奪った[注釈 4]。

当時の食品保存の基本の1つである乾燥も大幅にビタミンCを失わせ、例としてビタミンCが豊富なトモシリソウ(英名:「scurvy grass=壊血病の草)などを薬草として積んでさえ、保存のために乾燥させるとビタミンCは極めて微量になるのでこれを煎じて茶のように飲んでも効果がほとんどなかった[注釈 5][8]。

造船技術の進歩によって長距離航海が出来るようになって顕在化したのは興味深いですね。
栄養学とか医学は大事ですね。
確かに食料保存というと乾燥とか塩漬けですからね。腹が満たせりゃそれで良い、だと防げなかった病ですね。

■解決の兆しは17世紀 東インド会社レッドドラゴン

下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、ではないですが長距離航海ができるようになってから沢山の船が壊血病のリスクを知りながらも色んなことをためして、ようやくヒントになる実績が出てくるのですね。

それでも17世紀初め頃には経験的に柑橘類が有効だという説が出ており、『東インドへの航海』には1601年のイギリスのジェームズ・ランカスター(en:James Lancaster)は東インド会社の依頼で4隻の商船隊を率いてインドへ向かった際に、ランカスターが船長を務めるレッド・ドラゴン号の船員にレモン汁を飲ませた結果、レッド・ドラゴン号だけには壊血病による死者が出なかった話が記されている。

しかし高価で食べ慣れないものを明確な根拠もなしに常備するのは困難で、18世紀には航海の長期化も重なり比較的柑橘類が豊富なスペインやポルトガルでもレモン果汁は商船の標準積載項目から外されるようになり、医学がなまじ進歩したために医師や科学者たちが古代ギリシャの四体液説などを元に複雑な理屈を考えるようになり、様々な仮説が混在するようになった[10]。

東インド会社はかなりキーワードなのですが、長くなるのでまた今度にしましょう。

■状況を打破する海軍!壊血病を解決する正義の味方はリンド軍医とクック船長!

こうした状況を打破するのにつながったのがイギリス海軍のジェームズ・リンド、キャプテン・クック、ギルバート・ブレーン(Gilbert Blane)による壊血病対策であったが、いずれも一筋縄でいく問題ではなく模索しながらの解決であった。

まずはリンドさんについて調べてみましょう。
数々の犠牲と、それを無駄にしないで反省を積み上げて科学の進歩がありますね。

ジェームズ・リンド(James Lind、1716年 - 1794年)は、エディンバラ生まれのスコットランドの医師。
エディンバラ外科医師会所属の医師に弟子入りし、1739年に海軍軍医として入隊、1747年に英国軍艦HMS Salisburyの正式軍医として乗船する。1748年に医学博士論文を書きエディンバラ大学医学部に提出、故郷エディンバラで開業する免許を得る。

イギリスにおける海軍の衛生学の創始者であり、世界で初めて臨床試験による疫学の手法を用いて、壊血病と新鮮な野菜や果物の不足の因果関係を実証的手段によって突き止めた人物である。根拠に基づく医療 (evidence-based medicine) の創始者であると言っても過言ではない。柑橘類と新鮮な野菜を用いることで壊血病の予防と治療を奨励した。

リンドは1739年から1748年まではイギリス海軍の軍医であり、1758年から1783年までは海軍病院の医師であった。彼は水兵だけでなく、陸軍兵士の間でも予防医学と栄養学の実践に影響を及ぼした。彼は1753年に壊血病の論文を執筆した[1]。
ジェームズ・リンド - Wikipedia

次にクック船長です。

ジェームズ・クック(James Cook、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。 一介の水兵から、英国海軍の勅任艦長(英語版) (Post-captain) に昇りつめた[1]。

太平洋に3回の航海を行い、オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し(第2回航海)、ニューファンドランド島ニュージーランドの海図を作製した。史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた(第1回航海)
ジェームズ・クック - Wikipedia

"10代を石炭運搬の商船船員として過ごした後、1755年に英国海軍に水兵として志願"ってのはちょっとコビーっぽいですね。

このままWikipediaを読んでいくと記載されていますが、
"第3回航海の途上、ハワイ島で先住民との争いによって1779年に落命した。"
っていうのは本当に当時の航海は海だけでなく上陸後にも危険がありますよね。マゼランもフィリピンで命を落としましたが、なかなか厳しい世界ですね。もちろん先住民も必死だったことでしょう。

■先人の実績を水平展開、対策化したギルバート

そして最後はギルバートさんです。ケントギルバートさんではありません。

本格的に壊血病対策が進むきっかけになったのは、1780年にギルバート・ブレーンが西インド諸島隊司令部附の高級船医[注釈 22]に任用されてからで、彼はリンドやクックの資料を集めて部下の船医たちに配布し、全艦隊の統計をとり船ごとの水兵の健康状態を報告させ、これによって海軍本部は病気による戦力消耗と季節ごとの変化を把握できるようになった。 

またブレーンはリンドの資料も読んでいたので麦芽汁以外にレモンやオレンジも摂取させ、柑橘類が特に有効と確信し、上層部への嘆願書で「オレンジ・レモン・ライムなどで必ず予防や治療ができる」「麦芽汁はほとんど効果がない」と主張した。

壊血病と直接関係ない所でも水兵たちの衛生環境改善を訴え「健康で働ける戦力こそ国家の資源であり真の意味で戦争の軍資金である」と提言した[注釈 23]、ブレーンは身分も社会的地位も高かったのでただの船医と違い本部も無視できず、戦争終結の1783年までにブレーン本人の統計によるとブレーンの医療管理を受けた軍艦の死亡率が7人に1人から20人に1人と減少し、西インド諸島隊司令長官のジョージ・ロドニー提督は、ブレーンの功績だと書簡にしたためた[19]。

ブレーンはその後本国に帰り1780年代は聖トマス病院の医師をしていたが、『海上生活者の疾病に関する観察』という本を書き、リンドが数十年前に主張した柑橘類が壊血病に有効という説を再び唱えた。

1795年に疾病障害局委員に任命された際には、1793年に知人の海軍幹部の西インド諸島への航海に際し行なった壊血病対策の助言[注釈 24]により23週間無寄港でも壊血病の死者が出なかったデータを見せ、海軍の全船でレモン果汁を「毎日」食料に支給するよう説得した[注釈 25]。

これが最終的に功を奏し、1795年には艦隊や船の求めに応じたレモンの支給が決まり、さらに全船へのレモンの支給が行われるようになった1799年以後はイギリス海軍では壊血病が激減した。

長い戦いでしたね。
1799年にようやくたどり着いた答えをナミは持っていたのですね。
きっとマゼランもコロンブスもどちらかというとルフィやゾロと同じ立場だったかもしれませんね。

■ビタミンCの発見は20世記を待たなければならなかった

皆さん知ってました?ビタミンCの存在なんてずっと昔から分かってたような気もしますが、確かにそんな最近なんですね。

20世紀になってビタミンが発見され、モルモットによる動物実験が行えるようになった結果、柑橘類果汁に含まれる有効成分を単離する事を試みられるようになった。

1932年にハンガリーセント=ジェルジ・アルベルトがウシの副腎から取り出した物質(1927年に発見済み)が、推定されるビタミンC(当時は「水溶性因子C」と呼ばれていた)と似ている性質を持つため、モルモットで実験したところ壊血病を防ぐ効果があることを発見した。 

翌1933年にイギリスのウォルター・ハースがセント=ジェルジから渡された上記の物質の構造を解明しアスコルビン酸命名、そして同年ポーランドのタデウシュ・ライヒスタインらによりビタミンCを人工的に合成できるようになったことで人間は壊血病に完全に対抗策を取ることが可能になった[25]。

というわけで完全な対抗策は1933年でした。
人類と壊血病の長い長い戦いでしたね。

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
ONE PIECE公式漫画アプリ

・教科書、用語集、人物辞典他

■あとがき

いやー、今となっては当たり前のビタミンCですが、本当に長い歴史を経て我々の知識となったのですね。
筆者としても長い戦いでした…


ご覧いただきありがとうございました!
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