【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第99話 "ルフィが死んだ"、"人道目的"で導入されたギロチンの世界史〜フランス革命、ルイ16世、ロベスピエール、そして日本〜
この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第99話に登場する"死刑台"から"断頭台"について関心を広げます。
[長子6歳年次作: 死を覚悟したルフィ]
■死刑台に追い詰められるルフィ
第99話ではローグタウンの処刑台から海賊王の眺めを見ていたルフィが急遽捕まり、道化のバギーによる死刑執行が宣言されます。
ルフィ「おれ 死刑って初めて見るよ」
バギー「てめぇが死ぬ本人だよ‼︎!!」
ルフィ「ええっ‼︎?ふざけんなーっ‼︎!」
バギー「てめぇがふざけんなァ‼︎! これよりハデ死刑を公開執行する‼︎‼︎」
さて、この死刑ですが、バギーのハデ死刑は断頭式ですね。死刑制度も色々あるわけですが、この断頭台で思い出されるのがギロチンでして、世界史上ではフランス革命が思い起こされますので、少し調べてみました。
というわけで今回のテーマは"断頭台・ギロチン"です。
■"断頭台"とは何か?
まずは概要、定義からいきましょう。
Wikipediaにはこうありました。
断頭台(だんとうだい、ドイツ語: Richtblock)とは、死刑執行人が斬首刑を行う時に使用する木製の台である。時代が進み、ギロチンが導入されるようになると、斧や処刑人の剣と共に使用されなくなり、ギロチンの別名として定着するようになった。
スウェーデンは1902年にギロチンが導入されるまで使用されていた。実際に使用された物のいくつかは現存しておりヨーロッパ各地の博物館などで見ることが出来る。
断頭台には首と頭がすっぽりとはまるようにくぼみが設けられており、斧や処刑人の剣で首を切断する時に頭が動かないように固定する役目を果たす。死刑囚を押さえつけて断頭台に固定するのは死刑執行人助手の仕事だった。
まあ当然といえば当然ですが、本当にあるんですね、死刑台…。
■ギロチンの歴史
必ずしも断頭台がギロチンであったわけではないようですが、ギロチンが普及していくことによって同義になっていったわけですね。
ギロチン(仏: guillotine フランス語発音: [ɡijɔtin] 英語発音: [ˈɡɪlətiːn])は、2本の柱の間に吊るした刃を落とし、柱の間にうつ伏せ状態にさせた罪人の首を切断する斬首刑の執行装置である。
フランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用され、以後フランスでは1792年から1981年まで使用された。
「断頭台」、「断首台」とも呼ばれるが、これらはより正確に言えば斬首刑の執行の際に用いられる台全般を指し、ギロチンに限らない。またギロチンのような断首装置の原型は13世紀のヨーロッパにはすでに存在した。
というわけで13世紀からギロチンの原型はあったのですね。
なにより「フランス革命において受刑者の苦痛を和らげる人道目的で採用」って予想外の事実でした。比較論の話ですが、確かに執行人に下手に首を切られるよりは機械的に断頭された方が"人道的"ということなんでしょうが、そんな背景があったのですね。
■フランス革命をざっくり把握
せっかくなのでフランス革命の勉強をしておきましょう。
フランス革命(フランスかくめい、仏: Révolution française, 英: French Revolution 1789年7月14日 – 1795年8月22日)とは、フランスにおいて、領地所有の上に立つ貴族と高級聖職者が権力を独占していた状況が破壊され、ブルジョワジーと呼ばれる商工業、金融業の上に立つ者が権力を握った変化をいう。
ブルジョワジーは権力を握ったが、貴族を排除することなく一部の貴族とは連立を続けた。
フランス革命は貴族と上層市民を対等の地位にした[2]。
フランス革命 - Wikipedia
■ギロチンで処刑された歴史人物たち
教科書で見たようなフランス革命関連の有名人の多くが最期はギロチンだったようです。
国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットも、他の平民受刑者と同様にこれによって処刑された。
また革命の大立者ジョルジュ・ダントン、恐怖政治を主導したマクシミリアン・ロベスピエールや、受刑者をギロチン台に送り続けた検事フーキエ=タンヴィルも最期はギロチンで斬首された。
このようにフランスの恐怖政治ですべての党派を次々と呑み込み処刑した状況は、当時の人々によって「ギロチンの嘔吐」と呼ばれた。
ギロチン - Wikipedia
■ギロチンの最期
フランスでは1977年まで続いていたようです。
フランスでは死刑制度自体が廃止される1981年9月までギロチンが現役で稼動していた。フランスで最後にギロチンによって処刑されたのは、女性を殺害した罪に問われた、ハミダ・ジャンドゥビというチュニジア人労働者であり、1977年9月10日にフランス最後の死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)であるマルセル・シュヴァリエによって刑が執行された。これがフランスでギロチンが公式に使用された最後の例である。
ドイツは1970年まで…。
西ドイツになってから1949年に死刑制度が廃止されるまで使用され続けた。
東ドイツでもギロチンが使用されていたことが報告されていたが、1970年代には廃止されたとみられる。 なお、同国は1987年に死刑を廃止した。
アジアではベトナムが…。
ベトナムでも、フランスの植民地とされた時代から1975年まで、ベトナム共和国(南ベトナム)で、ギロチンが使用されていた。
そして日本…。
日本では、刑法制定後は、原則として絞首刑に限定されたが、1930年代から1945年(昭和20年)まで、ナチス・ドイツの影響を受けてギロチンに基づく斬首刑の導入が検討された。
こんな歴史があったんですね。
日本でも1945年まで検討されてたんですね。
というわけで今回のテーマ"断頭台・ギロチン"に関心を広げてみました。
■参考文献①今回のテーマを深掘り
・筆者ベストチョイス①
聴き流しで歴史を学べるボカロシリーズ(幼稚園生からパパ&ママまで幅広くオススメ)
■あとがき
前回の道化に続きなかなか重いテーマでしたね。事実とはいえ、人類の冷酷な側面が見える歴史でした。
ご覧いただきありがとうございました!受験勉強や教養の向上に活用いただければ幸いです。
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