この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第69〜95話に登場するアーロンの発言から"刀狩り"について関心を広げます。
[長子6歳作: ココヤシ村のゲンゾウ]
■剣の所持を追求されるゲンゾウ
第71話ではウソップを見つけにココヤシ村に来たアーロンがゲンゾウを見かけ、剣の保有を尋問します。
アーロン「てめェだったのか3日前 剣を所持してた野朗ってのは」
ゲンゾウ「あァそうだ あんたの支配下じゃあコレクションも認められんのか 私は もともと武器を眺めるのが好きなんだ」
アーロン「あァ困るね 武器は邪念と暴力しか生まねェ‼︎ 平和を害する一番の原因になる」
支配者が支配住民から武器を取り上げる、日本であったような気がしますね。
というわけで今回のテーマは"刀狩り"です。
■刀狩りとは?
まずは概要、定義からいきましょう。
Wikipediaにはこうあります。
刀狩(かたながり、刀狩り)とは、日本の歴史において、武士以外の僧侶や農民などから、武器の所有を放棄させること。
鎌倉時代の1228年(安貞2年)に、第3代執権北条泰時が高野山の僧侶に対して行ったものが、日本史記録上の初見で[1]、後に1242年(仁治3年)には、鎌倉市中内の僧侶とその従者(稚児、中間、寺侍、力者など)に帯刀を禁止する腰刀停止令を出し、違反者の刀剣は没収し大仏に寄付するとした[2]。
また1250年(建長2年)に第5代執権北条時頼は範囲を拡大し、市中の庶民の帯刀と総員の夜間弓矢の所持を禁止した(「吾妻鏡」)[3]。
戦国時代には諸大名によって行われている[1]。天下を統一しつつあった豊臣秀吉が安土桃山時代の1588年8月29日(天正16年7月8日)に布告した刀狩令(同時に海賊停止令)が特に知られており、全国単位で兵農分離を進めた政策となった。
一般的には農民の帯刀を禁止し、それらを没収して農村の武装解除を図った政策として知られているが、実際には刀以外の武器所有は禁じられていない。
柴田勝家も、1575年(天正3年)から翌年にかけて越前国の一向一揆の鎮圧のために武器の奨励と没収を行ったことがあり後述する。
刀狩りという言葉のイメージが武器を取り上げることのように思えてしまいますが、実際には刀以外の武器の保有は禁じられておらず、兵農分離政策に近かったようですね。
アーロンはコレクションすら認めない政策なので、武装解除に近い徹底ぶりですね。
■ちなみに海賊停止令って何?日本の海賊にとどめを刺した命令
ワンピース好きだと引っかかるキーワードなので勉強型かてら調べてみました。
海賊停止令(かいぞくていしれい、かいぞくちょうじれい)は、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が出した海賊衆(水軍)に対する3ヶ条の定で、それぞれに海賊行為をしない旨の連判の誓紙を出させ、海民の武装解除を目的とした政策。
令の名称は通称であり、海賊禁止令(かいぞくきんしれい)、海賊取締令(かいぞくとりしまりれい)、海賊鎮圧令(かいぞくちんあつれい)など幾つかの呼び方がある。
海賊停止令 - Wikipedia
こちらは武装解除の意味合いが強そうですね。
海賊停止令 編集
豊臣秀吉は、天正16年(1588年)に刀狩令とほぼ同時に海賊停止令を全国に発布する。これは海賊衆に対して、
豊臣政権体制の大名となる
特定の大名の家臣団となる
武装放棄し、百姓となる
のいずれかを迫るものだった。また、同時にそれまで海賊衆に与えられていた警固料を徴収する権利も禁止したことで、海賊衆というそれまでの特別な地位の存在その物を否定した。この命令によって日本史における海賊衆は姿を消すことになる。
ということで、ワンピースでいうと七武海制度撤廃のようなかなりインパクトのある命令だったようです。
■キングダムで有名な秦の始皇帝も"刀狩り"を進めた?
さて、この"刀狩り"ですが日本では鎌倉時代から見られるようですが、世界史上はどうでしょうか。
調べてみるとキングダムで有名な始皇帝が取り組んだとの情報がありました。ただしWikipediaには無い情報です。
YouTubeで世界史講義をしてくれるオリエンタルラジオの中田さんのインタビュー記事でこうありました。
日本史と世界史の共通点を意識するとさらに面白く
たとえば、中国・秦の始皇帝には、「農民の反乱を恐れて、農民から武器を取り上げて釣り鐘にした」という記録が残されています。
このエピソード、日本史の中でも聞いたことがないでしょうか?
そう、豊臣秀吉が行った「刀狩り」という政策と非常によく似ているのです。
秀吉は天正16(1588)年に刀狩令を発し、大仏の鋳造を理由に農民から武器を徴収しました。
秀吉の目的は、農民の武装を解いて一揆を防止することにあったと考えられています。
始皇帝の狙いと、完全に一致しています。
ここでもう1つ面白いのが、それぞれの政策が実施された時期です。秀吉が刀狩りを行ったのは、1500年代のほぼ終わりです。
始皇帝が農民から武器を取り上げたのは紀元前200年頃。
いかに始皇帝の政策が新しいものだったかがわかります。
これも、世界史と日本史を両方学ぶからこそ、得られる視点です。
「大人の学び直し」は歴史から始めるべき理由 | (3/5) | PRESIDENT WOMAN Online(プレジデント ウーマン オンライン) | “女性リーダーをつくる”
もう少し学問的な出典もあった方が良いかと思い探しますと、こんな記事もありました。
これは何でしょう、レポートを買い取るサイトなんですかね。すごい時代ですね。
後の始皇帝、秦王政が即位したのは紀元前247年。
すでにこの頃には中国大陸で一二を争う強大な国となっていたが、さらに紀元前230年以後は積極的に他国の攻略を行い、韓・趙・燕・魏・楚を、そして221年には最後まで残っていた斉をも倒して、天下の統一を成し遂げた。
統一君主としての名称を皇帝と定めた始皇帝は、まず初めに広大すぎる天下の大地を治める手段として、郡県制を施行する。
これによって全国は36郡に分けられ、それぞれを中央から派遣された官吏が統治することになった。
またそれに伴い、全国の民衆が所持していた武器を没収し、都に集めて銅像と楽器の形に鋳なおした。
これは、日本における豊臣秀吉の刀狩と同じく民衆の抵抗力を削ぐとともに、皇帝統治下の天下において、もはや兵器は不要であるという宣言のようにも思える。
それと同時に、これまで各国がそれぞれ別のものを用いていた、度量衡・通貨・文字の統一も行う。
これによって中国各地は社会的・文化的に結びついたとされるが、実際には、貨幣統一が全国にまで及んだのは始皇帝没後、二世皇帝即位の後であった。
秦帝国の盛衰
もう一つ出典がしっかりしていそうな記事を紹介します。
刀狩り
旧六国の兵器を都咸陽に回収し、溶解して編鐘のつり台座とそれを支える金人12体を作り、宮中に置く(刀狩りと金人十二体)。
安全保障政策の一つ。
編鐘とは古代中国の打楽器のこと。複数の異なる音色を出す鐘が吊り下げられている。権力の象徴でもあった。
秦代④:政策(4)黔首/安全保障政策/始皇帝陵と兵馬俑坑 - 歴史の世界を綴る
武器を取り上げて楽器を作るって素敵な発想ですね。
学生時代は国連でインターンをしたり、紛争地の信頼醸成や相互理解につながり活動や調査をしていましたが、その時に出会った仲間がポストコンフリクトエリアで武装解除と同時に楽器を渡す活動をしていたのを思い出しました。
■せっかくだから知っておこうDDR
せっかくなので武装解除と言えばDDRなので覚えておきましょう。現代社会の教科書などで取り上げられないですかね??
武装解除・動員解除・社会復帰(英: Disarmament, Demobilization, Reintegration)は、紛争後の国家における復興と平和構築の促進を目的に、国連、国際機関または国家が主体となって行う国際平和活動の一種。略称はDDR。
国連を主体として世界各地の紛争地の後方で実施されてきた、平和構築に不可欠なプロセスの1つである。
武装解除・動員解除・社会復帰 - Wikipedia
■参考文献①今回のテーマを深掘り
・筆者ベストチョイス①
聴き流しで歴史を学べるボカロシリーズ(幼稚園生からパパ&ママまで幅広くオススメ)
■あとがき
相変わらずなかなか話が進まないですが、テーマが刀狩りからDDRまでいくとは思いませんでした。
学生時代はこちらの世界に進もうと紛争地へ留学していたりしましたが、今ではすっかりビジネスマンになってしまいました。
伊勢崎さんとか瀬谷さんの本を読んだり、講演を聞いたりと熱心に勉強したものです。
あの時点でもっと英語ができていればもっと人生が変わっていたかもしれません。
でもあのまま平和構築の世界に進んでいたら、世界を飛び回って自己実現は満たされつつも、こんな家族との時間を過ごすことができなかったかもなぁとも思ったりもします。
一方で学生時代に出会った難民キャンプの子どもたちは一体今ごろどこで何をしているのかなぁと考えがよぎることもあります。
ご覧いただきありがとうございました!受験勉強や教養の向上に活用いただければ幸いです。
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