この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第69〜95話に登場する"自然の摂理"の発言から儒教の歴史について関心を広げます。
[長子6歳作: 講釈をたれるアーロン]
■アーロンの言う"自然の摂理"
第71話ではアーロンに"半魚野郎"と睨みつけるゾロに対し、アーロンが余裕の態度でゾロに諭します。
アーロン「天性に持つ数々の人間を超える能力がその証‼︎『万物の霊長』は魚人だと頭に叩き込んどけ‼︎! 人間が魚人に逆らうってのは"自然の摂理"に逆らうも同然だ‼︎!」
ナミ「そのバカみたいな持論は聞き飽きたわ アーロン」
ゾロ「!!?っな…」
というわけで前回のテーマは『万物の霊長』に続き、今回は"摂理"です。
■"摂理"とは?
どうやら"自然の摂理"というキーワードではなくて、まず"摂理"というのが用語のようです。
まずは概要、定義からいきましょう。
Wikipediaにはこうあります。
摂理(せつり)
自然界を支配する法則。
摂理 (神学) - ギリシア哲学(特にストア派)やキリスト教における「すべては神の配慮によって起こっている」とする思想。古代ギリシア語の"pronoia"、英語の"Providence"(神意)に相当する。
摂理 - Wikipedia
そして"摂理(神学)を調べると以下の説明がありました。
摂理(せつり、英語: Providence)とは、創造主である神による被創造物への計画・配慮である[1]。
「摂理」は、古代ギリシア語では"πρόνοια" (pronoia)、ラテン語では"providentia"、英語では"providence"(プロヴィデンス)に当たる。ラテン語の"providentia"は動詞の"providere"から来ており、pro(前を) + videre(見る)、すなわち「予見」を意味する。
キリスト教での「摂理」は、「(神ならではの)予見とそれに伴う配慮」という意味で用いられ、英語であれば、"Providence"と通常、語頭が大文字にされる。
どうでしょう。
アーロンの文脈からすると、自然の定めとか、自然の道理とか、自然のルールとかってニュアンスで言い換えられそうですね。
■ギリシャ哲学って何?
さてこの"摂理"という言葉ですが、ギリシャ哲学の頃から存在するようです。
「ギリシャ哲学」について調べてみましょう。
Wikipediaからの引用です。
ギリシア哲学(ギリシャ哲学)とは、かつて古代ギリシアで興った哲学の総称。現在でいう哲学のみならず、自然学(物理学)や数学を含む学問や学究的営為の総称である。
「哲学(ギリシャ語:Φιλοσοφία, philosophía, ピロソピア)」および「哲学者(ピロソポス)」という言葉を最初に用いたのはピタゴラスであると言われる[1][2]。
「哲学者」を含めた「知者(ソポス)」は「ソフィスト(ギリシャ語:σοφιστής, sophistés, ソピステス)」とも呼ばれ、詩人もこれに含まれた[3]。
ディオゲネス・ラエルティオスはギリシア哲学の起源を、アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)と、ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)に大別し、ソクラテス(ソクラテス学派)やプラトン(古アカデメイア学派)は前者の系譜で、パルメニデス、ゼノン(ともにエレア派)、エピクロス(エピクロス学派)らは後者の系譜であると主張している[4]。
さらにディオゲネス・ラエルティオスは、哲学には自然学・ 倫理学・論理学の三つの部門があり、まず自然学が発達し、次いでソクラテスが倫理学を加え、ゼノンが論理学を確立し、倫理学にはアカデメイア学派、キュレネ学派、エリス学派、メガラ学派、キュニコス学派、エレトリア学派、詭弁学派(ソフィストなど)、逍遙学派(ペリパトス学派)、ストア学派、エピクロス学派という10の学派があったとも主張している[5]。
ギリシア哲学 - Wikipedia
いやーカタカナばかりですね。
ピタゴラスが出てきました。こどもたちも大好きなピタゴラスイッチですね。哲学者の名付け親とは覚えてませんでした。
合計10のいろんな学派が出てきましたが、"摂理"に関わりがあるのがストア派でしたね。
■ストア派って何?
さて、このストア派って何でしょうね。今更ながら世界史受験ではゼノンをキーワードにストア派、みたいな記憶しかしてなかったような気がします。
ストア派(ストアは、希: Στωικισμός)は、ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めにキティオンのゼノンによって始められた。
キティオンのゼノン
自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した[1]。破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人はこの種の衝動に苛まされることはない、と説いた[2]。
ストア派 - Wikipedia
「自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか」って大人になって見てみると興味深いですね。大人になってからって学生時代と比べて苦難の連続だったりしませんでしょうか?
受験は確かに大変でしたが、今思えば充実したものでした。就職とか、人間関係とか、子育てとか、まあ社会人になってからの方が色々あるような気がします。
ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた[3]。
ルキウス・アンナエウス・セネカやエピクテトスのような後期ストア派は、「徳は幸福により十全となる」という信念から、知者は不幸に動じないと主張した。この思想は「ストア的静寂」というフレーズが意味するところに近い。だが、知者は真に自由とされ、あらゆる道徳的腐敗は等しく悪徳であるという「過激倫理的な」ストア派の思想を含意しない[2]。
ヘレニズム時代以降の古代ギリシア・ローマの時代においてはアカデメイア学派、逍遥学派、エピクロス派と並んで四大学派とされていた。創始以降、ストア派の思想は古代ギリシアやローマ帝国を通じて非常に流行し、マルクス・アウレリウス・アントニヌスをも信奉者として、哲学の異教的な性格をキリスト教の教義と調和しないものとしてユスティニアヌス1世が全ての学派を廃するまで続いた[4][5]。
「知者は不幸に動じない」だそうです。
特段不幸というわけではないですが、小さな事で色々悩む筆者はまだまだ知者とは程遠いようです。
ストア派のストアはストアポイキレから来てるんですね。
そして出てきましたね、マルクス・アウレリウス・アントニヌス。名前が長すぎて逆に特徴的な偉人です。
■ マルクス・アウレリウス・アントニヌスが考える"摂理"
皇帝であり哲学者のマルクス・アウレリウス・アントニヌスってインパクトありますよね。
摂理の観念は、古代ギリシアや古代ローマにおいて、特にストア派によって展開された。
ストア派哲学を学んだ第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、その著書『自省録』において「神の御業は摂理に満ちている」[注 1]と述べている。また、新プラトン主義の代表的哲学者であるギリシアのプロクロスには『摂理、運命と自由について』[3]や『摂理をめぐる十のアポリアについて』[4]等の著作がある。
摂理 (神学) - Wikipedia
ストア派の自然学・宇宙論のところに以下の説明がありますが、ものごとは決まったことがある、運命のような定められたものがある、すなわち摂理があると考えていたんでしょうか。
個々の魂はその本性上滅びゆくものであり、「世界の種子たる理性(logos spermatikos)に迎え入れられることで炎的な本性をとり、変化・拡散し[19]」うる。正しい理性が人間と世界との基礎なのだから、人生の目的は理性に従って生きること、すなわち自然に従って生きることとなる。
ストア派 - Wikipedia
アーロンも帝国を築くらしいので、アーロンもワンピース世界の哲人皇帝ですね。
どうやらキリスト教における摂理も色々あってカルヴァン主義とか予定説とか広がるようですが、長くなってきたので今回はここまでにします。
でもせっかくだからリンクと引用を載せときましょうか。
キリスト教においては、「摂理」は人生の出来事や、人間の歴史は、神の深い配慮によって起きているということで、聖書に基づいたキリスト教の人生観を言い表している(ローマの信徒への手紙8:28を参照)。
ヒンドゥー教・仏教の「因果・業・カルマ」、また、イスラム教の「運命・アッラーの意志」と比較することによって、その概念の特徴を浮き立たせることができる。
「神の摂理」(英語: Divine Providence)、あるいは単に「摂理」(英語: Providence)という形で用いられる。
この摂理(Providence)という考えは「カルヴァン主義」として知られる、ジャン・カルヴァン(1509年-1564年)の考え方に見られる。
カルヴァン主義では、人間の堕落ぶりと、神の偉大さが指摘された。
カルヴァンによれば、神が創った世界と人間は、神の意思や摂理(Providence)によって導かれている。
神が人間に自由意志を与え、人間は個別に判断することが可能になったものの、我々人間の認識能力の不足や、(悪魔が作り出す)様々な幻覚によって惑わされ、神がもともと我々のために定めておいた計画を、人間は放棄してしまっているのだ、とされる。
この考え方では、摂理(Providence)は「(神の)予定」(predestination)と結びついている(「予定説」も参照のこと)。
カルヴァンの「摂理」の理解は、イスラム教の「運命」の概念に近く、カルヴァンよりも、神の愛の支配と人間の意志との関わり合いを柔軟に捉えるウエスレアン・アルミニアン主義から批判を受けている。
摂理 (神学) - Wikipedia
■参考文献①今回のテーマを深掘り
・筆者ベストチョイス①
聴き流しで歴史を学べるボカロシリーズ(幼稚園生からパパ&ママまで幅広くオススメ)
■あとがき
今日は哲学でしたね。
アーロンってなかなか難しい言葉を使ってましたね。やっぱり人間界に出て舐められないように一生懸命本を読んだのでしょうか。
ルフィたちがシャボンティ諸島から魚人島に行くときのエピソードを読んでいた時はイスラム教原理主義を思い起こさせる内容だったんですよね。アーロン編からするとまだまだ先の話ですが、魚人と人間の関係はワンピースの中では非常に深く、現代社会にも結びつくようなテーマが沢山あるように感じられます。
[次子4歳作: 講釈たれるアーロン]
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