歴史人物の子孫を育てるパパ新聞

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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第43〜68話 赫足のゼフとサンジの回想「死ぬ程の空腹」から考える世界周航②、そして飢饉(日本史編)

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第43〜68話に登場する赫足のゼフの発言から世界周航に必要な食糧について再度関心を広げます。

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[長子作:死ぬ程の空腹に直面するサンジ]

■ゼフとサンジが体験した「死ぬ程の空腹」

第58話ではサンジがゼフに命を救われ、レストランを始めるきっかけとなった体験を話します。
飢餓曲面においてゼフはサンジに語ります。

ゼフ「・・・海は広くて・・・!!残酷だなァ この海の広さを 呪って 死んだいった奴が・・・いったいどれくらい いるんだろうな・・・!!」
サンジ「!」
ゼフ「長い海賊人生でものが食えねェ こういう危機には何度も遭ってきたが その度に思う 海のど真ん中にレストランでもあったらなァってよ」

確かに長旅で行き先や航路がわからない中での食糧への不安は航海者たちの課題だったことでしょう。

レストランかどうかは分かりませんが、ある意味海上交易が盛んだった地域は海の上で食糧のやり取りや、食べ物そのものを取引してかもしれませんね。

そして海の上での飢えといったらまたまたマゼランです。

■1520年マゼラン海峡の先に待っていた太平洋での飢餓

過去にマゼランが出発時に用意した食糧2年分を紹介しました。
それでもに太平洋に着く頃には様々な問題が生じていました。
Wikipediaにはこうあります。

太平洋に出たマゼランはしばらくはチリ沿岸に沿って北へ進みやがて北西に進路をとる。

海面は穏やかであったが食料を補給できる島にめぐり合わなかった太平洋での航海をピガフェッタは次のように記録している。

1520年11月28日水曜日にわれわれはあの海峡から抜け出て、太平洋のまっただ中に突入した。

3ヶ月と20日のあいだ新鮮な食べ物は何ひとつ口にしなかった。
ビスコット(乾パン)を食べていたが、これはビスコットというよりむしろ粉クズで、虫がうじゃうじゃ沸いており良いところはみな虫に食い荒されていた。


そして、ネズミの小便の臭いがむっと鼻につくようなしろものだった。
日数がたちすぎて腐敗し黄色くなった水を飲んだ。また、主帆柱の帆桁に張り付けてあった牛の皮さえも食べた。
(中略) それからまたわれわれはオガクズもしばしば食べた。
ネズミは半デュカート(当時の金貨)の値段がつけられ、しかもなかなか手に入らなかった
— ピガフェッタ(2011)、p.60

太平洋の航海でマゼラン艦隊では19人の乗組員とブラジルで乗せたインディオパタゴニアで乗せたパタゴンが壊血病と栄養失調で死んでいる。
トゥアモトゥ諸島やライン諸島無人島をいくつか通り過ぎ、餓死寸前のマゼランの艦隊は1521年3月6日、マリアナ諸島グアム島にたどり着いた。

ピガフェッタによるとグアム島に着き、上陸の準備をしていた艦隊を島民の小船多数が取り巻き、さらに船に島民が忍び込んできて手当たり次第に装備品を盗んでいった。

それに酷く立腹したマゼランは武装兵40人を上陸させ島民を7人殺害し家屋を40から50軒焼き払い、島にラドローネス諸島(Islas de los Ladrones 泥棒諸島)と名付けたとされる。

トランシルヴァーノは曖昧な記述しかしていない[註 17][64]。

1521年3月9日泥棒諸島を後にした後、マゼランたちは1週間後の3月16日にフィリピン諸島に到達した。
フェルディナンド・マゼラン - Wikipedia

サンジが手にしたパンはカビがはえていましたね。実際は虫がわいていて更に過酷な状況だったようだすね。

少しずつ紹介してきたマゼランの世界就航もいよいよフィリピンまで到着です。そしてマゼランはこの地で命を落とすことになります。

マゼランの世界周航に関しては過去にも掲載してますので、是非こちらもご覧ください。
【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第7話 『偉大なる航路(グランドライン)』から考えるマゼランの世界周航 #1 マゼランが船長になるまで - 歴史人物の子孫を育てるパパ新聞


■歴史上の「死ぬ程の空腹」、飢饉。

さて、この死ぬほどの空腹ですが、海の上だけでなく陸上でも起こってきました。飢饉です。
まずは言葉の定義を押さえましょう。Wikipediaの説明を引用しておきます。

飢饉(ききん、英: Famine)とは、何らかの要因により人々が飢え苦しむことを指す。

狭義においては、一地域における死亡率を急激に上げるような極端な食料不足の事態を指すことが多い。
主食とする農産物の大規模な不作を契機とする場合が多い。

歴史上は長く戦乱や各国の領土拡張の理由ともなってきたが、1940 - 60年代の緑の革命による収量の増大、その後の輸送網の発達、21世紀に入ってからの国際的な人道援助の広がりなどによって飢饉の発生は大幅に減っている。
飢饉 - Wikipedia

 

■ 日本で起きた「死ぬ程の空腹」

筆者は日本史は得意では無いのですが、受験や教科書にも飢饉はキーワードとして出てきますね。
今後またワンピースのキーワードと結びつけて勉強しながら各飢饉の詳細を見ていきたいと思います。

日本

養和の飢饉
寛喜の飢饉
正嘉の飢餓
長禄・寛正の飢饉
江戸四大飢饉
寛永の大飢饉
享保の大飢饉
天明の大飢饉
天保の大飢饉


続日本紀』(8世紀成立)には、大宝2年(702年)9月17日条から延暦10年(791年)5月12日条の約89年間で、飢饉に関する記述が少なくとも116回を超えている。

その内、天平宝字7年(763年)の記述が「14回」(20国、同じ国を含む)、天平神護元年(765年)が「12回」(17国、同国含む)、宝亀5年(774年)が「14回」(15国、同国含む)と集中している。


また、一度に飢饉になった国の数(4国未満は省く)として、慶雲2年(705年)12月27日条で「20国」、同3年(706年)2月16日条で「7国」、天平宝字4年(760年)3月26日条で「15国」、同6年(762年)5月4日条で「畿内と5国」、天平神護元年(765年)2月15日条で「4国」、同年3月16日条で「6国」、延暦4年(785年)10月10日条で「4国」、同9年(790年)4月29日条で「14国」、同10年(791年)5月12日条で「4国」と記録されている[4]。


続日本紀』に具体的に飢饉者の人数が記された条として、宝亀10年(779年)8月2日条に3千余人。
延暦9年(790年)8月1日条に、大宰府管轄下(九州諸国)で8万8千人余りが飢饉になったと記録される。

奈良時代では、飢饉が起こるたびに、朝廷が医者と薬と物資を各国に送っていたことが記述され、疫病と飢饉が頻繁になると天皇が天に徳を示すために大赦を行った[4]。


気候変動研究では、16世紀以降に寒冷化が進み、飢饉が頻発することになる[5]。

例えば、越後上杉氏の他国出兵時期と期間から口減らしの意図が考えられ、特に飢饉の続いた永禄年間に上杉謙信は関東への出兵を繰り返しており[6]、これは戦争が飢饉を起こすのではなく、飢饉が戦争を起こしていた例とされる[6]。


飢饉が元で、あるいは一因として改元した例としては、寿永・寛喜・貞永・正元・宝徳・寛正がある[7]。


ことわざに「一年の兵乱は三年の飢饉に劣る」とあるように、日本では、飢饉の害は戦争以上のものであるという考え方がある[8]。

世界史ではアイルランドのじゃがいも飢饉が有名ですが、今回は日本史に留めます。
"これは戦争が飢饉を起こすのではなく、飢饉が戦争を起こしていた例"なんて説明を読むと飢えは紛争と結びつくなかなか深いテーマですね。

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
ONE PIECE公式漫画アプリ

・教科書、用語集、人物辞典他

■あとがき

いつかマルサスとかも触れたいですね。

ご覧いただきありがとうございました!
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