歴史人物の子孫を育てる雑草パパ新聞

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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第43〜68話 "首領(ドン)・クリーク"の『ドン』て何?ドンと言えば"ドン・キホーテ"by セルバンテス

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第43〜68話に登場する"ドン・クリーク"からドンキホーテセルバンテスについて関心を広げます。
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[長子作: ドン・クリーク]

■"ドン・クリーク"の登場

第45話ではサンジに食事を分けてもらい命からがら本線に戻ったギンがクリークとの再会を果たします。

ギン「首領(ドン)・クリーク」
クリーク「………なんだ」
ギン「案内します 海上レストラン「バラティエ」へ」

まさに嵐前ですね。

■"ドン"って何?

さて、"首領(ドン)"って何でしょう。筆者の世代は辛うじてドン・ガバチョが思い浮かんだりしますが、世界史的にはドン・キホーテが有名ですね。
まずはドンから見てみましょう。
Wikipediaにはこうあります。

ドン(スペイン語:Don [d̪on]、ポルトガル語:Dom [dõ])は、スペイン語圏とポルトガル語圏で使われる貴人・高位聖職者に対する尊称である。

スペインでは公文書や式典等のあらたまった場所などでは、一般の人に対しても使われる。ドンは男性に使い、女性へはスペイン語ではドーニャ (Doña ['d̪o.ɲa])、ポルトガル語ではドナ (Dona ['do.nɐ]) となる。

ラテン語の君主への敬称であるドミヌス (dominus) に由来する。

ドン (尊称) - Wikipedia

スペインではドンは爵位のあった人や、その人々に管理人として仕え、なおかつ家柄の良いとされる人につけられる[1]。

また、専門教育を受けた人望のある医師や教師もドンをつけて呼ばれる。急激に資産を増やしただけの人物や、新任の教師がドンと呼ばれることはない。

というわけで、ドンはスペイン語なんですね。
しかし、クリークのイメージと合いませんが、理由はアメリカ英語の影響のようです。

アメリカ英語では、ドン (Don) をマフィアなど犯罪組織のボスに対し使うことがある。この用法は、スペイン文化の影響が強い南イタリアの影響と考えられる。

これから転じて日本語でも、「球界のドン」川上哲治、「政界のドン」金丸信、「税調のドン」山中貞則、「芸能界のドン」周防郁雄など、ボス然とした親分肌の実力者のことをドンと呼ぶことがある。

オクスフォード大学ケンブリッジ大学では、ドン (Don) を教職員に使うことがある。

ドンと呼ばれる主な歴史人物たちも紹介されていました。

ドン・カルロス - アストゥリアス公スペイン王フェリペ2世王太子

ドン・フアン・デ・アウストリア - スペイン王カルロス1世の庶子

ドン・アルバロ - 20世紀のカトリック教会の司教・福者、聖ホセマリア初後継者

ドン・ファン - 17世紀スペインの伝説上の人物

ドン・ハビエル - カトリック教会の司教、オプス・デイ属人区長

ドン・キホーテ - セルバンテスの同名小説の主人公。

■ドンと言えば"ドン・キホーテ"

出てきました、ドン・キホーテ
世界史の教科書でも出てくる用語ですので見てみましょう。

ドン・キホーテ』(Don Quijote、Don Quixote)[1]は、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。

騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士アロンソ・キハーノ)が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」[2]と名乗って冒険の旅に出かける物語である。

1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。

1603年に江戸幕府と思うと、同時期にこの物語がヨーロッパで流行っていたのは興味深いですね。方や武士道、方や騎士道。ゾロは武士道、サンジは騎士道といったところでしょうか。

■意外と影響力のあるセルバンテス

学生時代はあまり意識しませんでしたが、このセルバンテスさんは中々の有名人です。

世界的に名声を得たスペイン語圏による最初の文学者であり、現代に至るまで多大な影響を与えた。同時代人のシェイクスピアは『ドン・キホーテ』を読んでいたと言われる。

チャールズ・ディケンズギュスターヴ・フローベールハーマン・メルヴィルフョードル・ドストエフスキー、ジェームズ・ジョイスホルヘ・ルイス・ボルヘスらは、影響を受けた作家たちのほんの一部である。
ミゲル・デ・セルバンテス - Wikipedia

■通貨になってたセルバンテス

これも知りませんでしたが、スペイン発行のユーロコインはセルバンテスのようです。

また、ユーロ硬貨のうち10、20、50セント硬貨のスペイン国内発行分の片面にはセルバンテスの肖像が刻印されている。

生地であるアルカラ・デ・エナーレスには生家が保存されており、町の中央広場も彼の名を取りセルバンテス広場と改称されている[12]。

セルバンテスは海軍だった!?レパントの海戦にも参加していた波乱万丈なセルバンテスの人生

セルバンテスの人生も調べてみると実に興味深いです。まずは生まれから。

セルバンテスは、イダルゴ(下級貴族)の家の次男として1547年9月29日にマドリード近郊のアルカラ・デ・エナーレスで生まれた。

父は外科医であり、祖先を1492年以前にさかのぼるとユダヤ人だったとして、セルバンテスはコンベルソ(カトリックに改宗したユダヤ教徒)もしくは新キリスト教徒ではないかという研究者もある[1][2]。

生まれはそれなりの名家だっのですね。
お父様がお医者さんだったそうですが、なぜか仕事が安定せずにスペイン各地を転々としたことからあまり教育は受けられなかったことも記載されています。

だが1564年ごろ、マドリードに転居したセルバンテスルネサンスの人文学者ロペス・デ・オヨスに師事する。

オヨスは1568年に出版された詩文集にてセルバンテスを「わが秘蔵の弟子」と呼び、高く評価した[7]。

1569年に教皇庁の特使であったアックアヴィーヴァ枢機卿の従者としてローマに渡り、ナポリでスペイン海軍に入隊する

この人文学者との出会いはセルバンテスにも大きな影響を与えたのでしょうかね。
1547年生まれとすると1564年はちょうど17歳、刺激を受ける思春期ですね。

そしてスペイン海軍に入隊し、レパントの海戦にも参加します。

スペイン最盛期の象徴であるレパントの海戦(1571年)において被弾し、左腕の自由を失った後も4年間従軍を続け、チュニスへの侵攻にも参加した[8]。

そして本国へと帰還する途中、バルバリア海賊に襲われ捕虜となる。

このとき仕官のための推薦状を持っていたことが仇になり、とても払えない巨額の身代金を課され、アルジェで5年間の虜囚生活を送る。この間、捕虜を扇動して4回も脱出を企てるがことごとく失敗。

このとき処刑されなかった理由は、推薦状により大物と見られていたためと思われるが、定かではない。

三位一体修道会(キリスト教の慈善団体)によって身請けされ本国に戻ったが、仕官を願うも叶わず、1585年に最初の作品牧人小説『ラ・ガラテーア』を出版するが、あまり評価されなかった。

海賊に襲われるってのも時代ですね。恐ろしい時代です。そして5年間も囚われの身となりました。
そして小説も最初はなかなか評価されなかったのですね。
波乱の人生はさらに続きます。

1585年に父親ロドリーゴが亡くなると、セルバンテスの家庭は本人・姉・妹・姪・妻・娘(私生児)の六人家族となり、稼ぎ手の少ない家計は逼迫した。

セルバンテス無敵艦隊の食料調達係の職を得てスペイン各地を歩き回って食料を徴発するが、教会から強引に徴発したかどで投獄され、さらに翌年アルマダの海戦で無敵艦隊が撃破されたため職を失う。

その後なんとか徴税吏の仕事に就くが、税金を預けておいた銀行が破産、併せて負債として30倍の追徴金を背負わされ、未納金につき1597年に投獄される。そのセビーリャ監獄の中には、ピカレスク小説『グスマン・デ・アルファラーチェ』(1559年)の作者マテオ・アレマンもいたという。セルバンテスは『ドン・キホーテ』の序文で、牢獄において構想したことをほのめかしている。

37歳くらいで父親を失って家計を支える。
無敵艦隊で働くもいよいよアルマダの海戦で敗れて失職。
さらに借金を背負って投獄…
ボロボロですね。

そしてここから逆転人生が始まります。

そして1605年、マドリードにて『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』が出版された。『ドン・キホーテ』は出版されるやいなやたちまち大評判となり、同年中に6版が重ねられた。[9]

ドン・キホーテ』の成功にもかかわらず、版権を安く売り渡していたため、生活面での向上は得られなかったが、その後も創作活動は展開され、有名なものに『模範小説集』(1613年)、『ドン・キホーテ 後編』(1615年)、遺作『ペルシーレスとシヒスムンダの苦難』(1617年)などを世に送り出した。

1616年、69歳でその波瀾に満ちた人生を終えた。

彼が息を引き取った最後の借家はマドリード中心部の2つの通りが交わる地点にあり、片方の通りの名は彼の名を取りセルバンテス通りと名付けられている[10]。

そして今では大文化人です。

スペインを代表する大文化人であり、スペインに関係する多くの文学賞や施設などに彼の名が冠されている。

1976年にはスペイン教育文化スポーツ省が、スペイン語文学に貢献してきた作家の業績に対して送るセルバンテス賞が創設され、スペイン語圏内における最高の文学賞とされている[11]。

また1991年にはスペイン語の教育及びスペイン文化の普及を目的としたセルバンテス文化センターが設立され、20カ国以上に支部を置いている。

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
ONE PIECE公式漫画アプリ

・教科書、用語集、人物辞典他

■あとがき

天才系の偉人も興味深いですが、セルバンテスのような苦労人はなんか親近感が沸きますね。

ご覧いただきありがとうございました!
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