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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第43〜52話 海上レストラン『バラティエ』登場!メニューはコース?バイキング?バイキングは海賊だぜ!ロロ、ウィリアム1世、カヌート、ギョームみんな登場!

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史、そして現代世界情勢への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。第43〜52話に登場する海上レストラン『バラティエ』からバイキングの歴史について関心を広げます。

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[長子作: 海上レストラン『バラティエ』]

海上レストラン『バラティエ』

第43話でいよいよサンジたちが登場しますね。その舞台になるのがこの『バラティエ』です。

ジョニー「どーっすかみなさん!!!」
ルフィ「でっけー魚っ!!」
ナミ「うわーーっ」
ウソップ「ファンキーだな おい!!」

■レストランと言えば"バイキング"?

さて、いまの若者たちがこのように呼ぶかは分かりませんが、食べ放題メニューをバイキングって呼んだりしませんか?海外生活してしまうとバフェ(ビュッフェ)と言うのが一般的だと学びますが、未だに国内ではバイキングって通用したりしませんでしょうか。

バイキングって世界史的には北欧のバイキングですよね。なので今回調べてみました。
Wikipediaにはこうあります。

日本語では「バイキング」と称されることがある。日本初の食べ放題レストランの店名が「バイキング」であったことに由来する。

1957年(昭和32年)、翌年に落成する新館の目玉となるレストランを模索していた帝国ホテル社長の犬丸徹三は、旅先のデンマークコペンハーゲンで北欧式ビュッフェ「スモーガスボード」に出会った[5]。

「好きなものを好きなだけ食べる」というスタイルに注目した犬丸は、当時パリのリッツ・ホテルで研修中で後に帝国ホテルコック長となる村上信夫に料理内容の研究を指示した[6]。

一方「スモーガスボード」が非常に言いにくく馴染みのない言葉であったため、新しいレストランの名称を社内公募した。

その結果「北欧と言えばバイキング」という発想と、当時帝国ホテル脇の日比谷映画劇場で上映されていた『バイキング』(1958年)という映画の中の豪快な食事シーンが印象的だったことから、新店名を『バイキング』に決定[7]し、1958年(昭和33年)8月1日、新しく開館した帝国ホテル第二新館に『インペリアルバイキング』をオープンした。

このレストランは好評を博し、ランチ1,200円、ディナー1,600円だったにも関わらず連日行列ができるほどであった(当時の大卒の初任給が12,800円。)[5]。

これを模倣した後発店が定額食べ放題のシステムを「バイキングスタイル」と表現したため、バイキングはビュッフェレストランの代名詞となった。
食べ放題 - Wikipedia

Wikipediaって素晴らしいですね。

■では北欧といえば"バイキング"!バイキングは海賊でした!

さて、世界史やりましょう。

ヴァイキング(英: Viking、典: viking、独: Wikinger)とは、ヴァイキング時代(Viking Age、800年 - 1050年)と呼ばれる約250年間に西ヨーロッパ沿海部を侵略したスカンディナヴィア、バルト海沿岸地域の武装船団(海賊)を指す言葉。
ヴァイキング - Wikipedia

ということで、言葉の意味としては武装船団(海賊)というニュアンスだったのですね。

彼らは北方系ゲルマン人で、ゲルマン民族移動の時代には南下(デーン人のユトランド半島進出など)により、西ヨーロッパとより近く接触するようになったが、9世紀に入って侵略などを活発化させた。

後の研究の進展により、ヴァイキングは「その時代にスカンディナヴィア半島、バルト海沿岸に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。
そういった観点からは、ノルマン人とも呼ばれる。
中世ヨーロッパの歴史に大きな影響を残した。西洋生活様式と思想では、個人主義ヴァイキングイデオロギーから影響を受けている。

通俗的なイメージでは、ヴァイキングは海賊や略奪・植民のイメージが強かった。
しかし、ノルウェーの考古学者であるヘイエルダールが述べたように実際には略奪経済を生業としていたのではなく、故地においては農民であり漁民であった。
また、ヴァイキングたちの収益の大部分が交易によるものだったと言われている[1]。
この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。
金になるブリテン諸島イベリア半島イタリア半島バルカン半島、ヨーロッパロシア、スカンディナヴィア半島、北アフリカ西アジアとの交易路[1]。
例えばヴァリャーグからギリシアへの道でコンスタンティノープルとの貿易、ヴァイキングの通商路である。

ということで、ちょっと野蛮なイメージがあるバイキングでしたが、普段は農民や漁民だったわけですね。交易が主だったけど稀に略奪なんかもしたりして、悪いイメージがついてしまったというわけですね。

コロンブスより先にアメリカ到着!すごいぜバイキング!

この連載で筆者が嫌いなコロンブスさんですが、バイキング調べてみるとさらっとアメリカ到着してたことが書いてありました。すごいね、バイキング。

西暦700年代末頃からヴァイキング集団はブリテン諸島やフリースラントへの略奪を始めたが、この頃には季節の終わりには故郷へと戻っていた。

本格的なヴァイキングの時代が始まるのは、793年の北部イングランドリンデスファーン修道院襲撃からとされる[7][8]。
以後、795年にはヘブリディーズ諸島のアイオナ修道院を略奪し、北海沿岸を襲撃していくようになった。
だが、9世紀半ばからは西ヨーロッパに越冬地を設営して、さらなる略奪作戦のための基地とするようになった。いくつかの場合、これらの越冬地は永続的な定住地となっていった。

中世初期の文献資料は、ヴァイキングに敵意を持つ西欧人の記した記録や伝承記が多い。
中世の西欧人にとってノルマン人(ヴァイキング)とペスト(黒死病)は二大脅威だったのである[2]。


793年、ノルマン人と思われる一団によって、ブリテン島東岸のリンディスファーン修道院が襲撃された。このことは「アングロ・サクソン年代記」に記されており、西ヨーロッパの記録に記された最初のヴァイキングの襲撃とみなされている。


ヴァイキングは、9世紀にフェロー諸島、次いでアイスランドを発見した。
そしてアイスランドからグリーンランドアメリカ大陸(ニューファンドランド島と推測される)へ進出した。
彼らはまた、ヨーロッパの沿岸や川を通って渡り歩く優れた商人であったことから、グリーンランドを北端にして南はロシアの内陸河川を航行してイスタンブールに進出していった。

なんかさらっと書いてありますよね、アメリカ大陸に進出したって。
さらに黒死病と並ぶ驚異ってのもすごいですね。今で言えば新型コロナかバイキングか、みたいな感じですね。

■イギリスも手中にしたぜ!すごいぜバイキング!

改めて調べてみるとすごいですよね。北欧からイギリスも納めてしまうこの拡大力。

ヴァイキングは海岸線を伝い、現在のフランスやオランダにあたる地をしばしば攻撃した。
デーン人は、834年にフランク王国を襲撃、843年にはロワール川の河口に近いナントを襲った[2]。
10世紀に入るとパリがヴァイキングにより包囲され、ロワール川流域も荒廃した。
10世紀初め、ヴァイキングの一首領ロロが西フランクを襲撃しない見返りとして、シャルル3世によってキリスト教への改宗と領土防衛を条件に、フランス北西部のセーヌ川流域に領土を封じられた[9]。
これがノルマンディー公国の始まりである(なお、ロロの子孫で西フランク(フランス)王の臣下でもあったウィリアム1世がのちにイングランドに侵攻し、ノルマン朝を開いている。これが1066年のノルマン・コンクエストである)。

ヴァイキングの西欧への侵入は当初は略奪目的が少なくなかったものの、9世紀末以降は、ロロの例にみられるごとく定住化の傾向が顕著になる。
これは、ヴァイキングの故郷であるデンマーク一帯に統一権力形勢の動きが起こることと連関があり、故国で志をえない有力者が部下とともに移住するケースとみられる[10]。

祖国で夢破れた有力者たちが「外国で一旗あげてやるぜ!」って攻め込んでいって、しまいにはイングランドで王朝建てるんですからすごい力ですね。

■バイキングとノルマン人の違い

バイキングの話だったのにどこからかノルマン人に呼び方が変わるので何故かと思ったら説明がありました。

ヴァイキングはノルマン人とも言われるが、ノルマン人が居住したことからノルマンディーという地名が生まれた[11]。
後世の歴史学的用語としてはともかく、当代においてはノルマンディー公国以降のヴァイキングがノルマン人と呼ばれる[注釈 1]。[要出典]

ノルマンディー公国成立後も、デーン人の進出は続いた。
11世紀のデンマーク王族カヌートは父がヴァイキングを先祖とするデーン人で母が西スラヴのポーランド人の王族であるがイングランドデンマークを結ぶ北海帝国の主となり、カヌート大王(在位1016年 - 1035年)と呼ばれる。

しかしその後、1035年にカヌートが死去するとすぐにこの帝国にはほころびが生じ、1042年にはエドワード懺悔王がイングランド王位に就く。

しかし彼の死後、ノルマンディー公ギョームは1066年にアングロサクソンイングランドを征服(ノルマン・コンクエスト)し、ノルマン王朝を築いた。

この辺りはよく世界史に出てくるところですね。

南イタリアシチリアもシリア北部も手中に入れたぜ!すごいぜバイキング!

あまりイメージありませんでしたが、ここまで勢力拡大してたのですね。

一方、地中海中央部のイタリア半島南部においては、999年ごろより聖地巡礼の帰路に立ち寄ったノルマン人たちが傭兵としてとどまり、ビザンツ帝国領や諸侯領のいりまじっていた南イタリアで徐々に勢力を拡大していく。

こうしたなか、ノルマンディーの騎士ロベール・ギスカールは1059年、プッリャ公となり、やがて南イタリアを統一し、1071年には東ローマ帝国の拠点だったバーリを攻略。(ノルマン・東ローマ戦争)

さらに1076年までに、当時イスラム勢力の支配下にあったシチリアを占領し、ノルマン朝(オートヴィル朝)を開いた。
1130年にはルッジェーロ2世が王位につき、シチリア王国が成立した。(ノルマン人による南イタリア征服)。

イタリアに渡ったノルマン人のうち、ターラント公ボエモンは、第一次十字軍に参加し、1098年にアンティオキア公国を建国した。

アイデンティティを失い、それぞれの道へ!グッバイ、バイキング!

確かに自分が何者であるか、というアイデンティティというのは永遠のテーマですね。
英語が話せれば国際人かと言われるとそうでもなく、母国の文化や歴史を理解して行動や振る舞いで表現できないと単なる英語だけ得意な根無草になってしまいますね。
地球規模の課題に取り組んでいればグローバル人材にはなりうるかもしれませんが、国際人ではないですね。

話が逸れましたが、バイキングの皆さんも世界に飛び出て、新たな住処を見つけて、それぞれの道を歩み出して行ったようです。
GLAYのBELOVEDが聴きたくなってきました。

ノルウェー人の築いた植民地は、アイスランドの植民の成功を除き、全て13世紀から16世紀までに、北欧本国からの連絡が途絶えてしまったとされる。
しかしその後も僅かながらの「白いエスキモー」、「金髪のエスキモー」に遭遇したと言う、船乗りたちの話が北欧に伝えられたのである。しかしヴァイキングの活動は急速に失われつつあった。

こうして初期のヴァイキングの自由、そして独立した精神は失われてしまったのである。
海賊、交易民的な性格を失っていったヴァイキングは、次第にノルマン人と呼ばれる頻度が多くなっていく。

イングランド、ノルマンディー、シチリア、あるいは東方に向かったヴァイキング・ノルマン人たちは、その地に根付き、王となり、貴族となった。
やがてノルマン人としてのアイディンティティを喪失し、現地に同化していった。


一方でヴァイキングの故地たる北欧においても、徐々に強固な国家形成がなされていき、その住民たちも、デーン人、スヴェア人、ノース人、アイスランド人へと、それぞれの国家の国民、民族として分離していく。

こうして、13世紀までには、殆どのヴァイキング・ノルマン人は消滅していく事になる。

というわけでレストランつながりでバイキングの歴史でした!
そういえば初期に書いたアルビダ王女も北欧出身でしたね。バイキングの大先輩ですね。
【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第2話 「アルビダ」は本当にいた!?スカンディナビア王女アルビダ - 歴史人物の子孫を育てるパパ新聞

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
ONE PIECE公式漫画アプリ

・教科書、用語集、人物辞典他

■あとがき

考えてみればサンジはノースブルーの出身ですが、ノースブルーっていうとやはり北欧を思い起こすのは私だけでしょうか。

なんか祖国を追いやられて世界に撃って出るバイキングの様子はワンピースのジェルマの動きと重なるところもありますよね。

ご覧いただきありがとうございました!
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