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【連載: 漫画『ONE PIECE』ワンピースで学ぶ世界史】第7話 『偉大なる航路(グランドライン)』から考えるマゼランの世界周航 #1 マゼランが船長になるまで

この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。今回は第7話『偉大なる航路』からマゼラン艦隊による世界周航ついて関心を広げます。今回はマゼランが船長になるまでの経緯をご紹介します。

【長子作:『偉大なる航路』を宣言するルフィ】

■『ワンピース』を求めて”偉大なる航路”を目指すルフィと『香料諸島』を求めて西回り航路を目指したマゼラン

第7話でモーガンとの戦いを終え、ルフィがゾロとコビーと3人で食事をしている最中に次の目的地の会話になります。

ゾロ「それで ここからどこへ向かうつもりだ?」
ルフィ「”偉大なる航路(グランドライン)”へ向かおう」
「!‼︎?」
コビー「んまっまた無茶苦茶な‼︎!まだ2人なのに”偉大なる航路”へ行くなんて‼︎死にに行くようなもんです‼︎!」

この後ルフィは海賊、コビーは海軍と立場は変わってもお互いに友達であることを確認してしばしのお別れとなります。そしていよいよルフィはゾロと共に新たに海へ向かいます。

【長子作 ルフィとゾロの船出を見送るコビー】

この「偉大なる航路」という言葉を聞いて思い浮かぶのが大航海時代のインド航路や世界航路です。日本では織田信長が生まれる前、応仁の乱北条早雲による戦国時代を迎えていた頃に、正に死にに行くようなこの世界周航を成し遂げた艦隊がいました。それが今回のテーマ、『マゼラン艦隊』です。
Wikipediaにはこうあります。

フェルディナンド・マゼラン(1480年 - 1521年4月27日)は大航海時代ポルトガルの航海者、探検家である。1519年に始まる航海でスペインの艦隊を率いた。マゼラン自身は航海半ばの1521年に亡くなったものの、部下のスペイン人フアン・セバスティアン・エルカーノが艦隊の指揮を引き継ぎ、1522年に史上初となる世界周航を達成した。
フェルディナンド・マゼラン - Wikipedia

今の時代でも「船で世界一周して来てくれる?」って頼まれても容易にYESとは言えませんが、あの時代に自ら志願して航海に出ただけでも勇気ある行動だと思いますね。

コロンブスバスコ・ダ・ガマから刺激を受けたマゼラン

マゼランの世界周航に入る前にもう一度この方の概要をつかみましょう。

マゼランはヨーロッパから東洋の香料諸島(モルッカ諸島)への西回りでの渡航ルート発見を目指して旅立ったポルトガル人航海者である。1519年スペイン王の信任を得てスペイン船5隻の艦隊を率いてスペイン・セビリアを出発したマゼランは南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達し、マゼランは途中1521年フィリピンで戦死したが、残された艦隊が1522年に史上初めての世界一周を達成した[2][註 1][註 2]。マゼラン自身は世界一周を成し遂げてはいないものの[註 3]、人類初の世界一周航海(周航)を達成した艦隊は「マゼランの艦隊」として後世に名を残している[2]。

そう、大航海時代はヨーロッパから香辛料を求めて航路開拓が広がっていきましたが、マゼランさんはヨーロッパから大西洋を越え、アメリカ大陸をマゼラン海峡から抜けて大西洋へ出て、現在のインドネシアへと繋がる西回り航路を切り開きました。

なぜ航海に関心をもったのかですが、Wikipediaにはこうあります。

1480年ごろにポルトガル北部ミーニョ地方ポルト近郊ポンテ・ダ・バルカの下級貴族である父ルイ・マガリャンイスと母アルダ・デ・メスキータの間に生まれたとされている[7][8]。1492年、王妃レオノール・デ・ヴィゼウの小姓としてポルトガル宮廷に入る[9]。このポルトガル宮廷小姓時代にコロンブスの新世界発見やバスコ・ダ・ガマのインド航路発見の業績を知ることになり航海への関心を深めたと言われる[10]。

■マゼランの初航海は25歳!

マゼラン艦隊を率いたマゼランさんの初航海は25歳だったようです。社会人でいうとちょうど大学を出て3年目くらいですね。
Wikipediaではこう説明されます。

バスコ・ダ・ガマのインド航路発見を受けて1500年からポルトガルは次々にインド洋へ艦隊を送り出すが[11]、1505年インド洋の覇権をポルトガルの物にするべくフランシスコ・デ・アルメイダの20隻の艦隊がポルトガルを出発した[12]。このアルメイダの艦隊に25歳のマゼランは希望して加わり、これがマゼランの初の航海となった[11]。

■経験値を積むマゼラン

その後マゼランは東アフリカやインドで経験を積んでいきます。

マゼランは2年3ヶ月ほど東アフリカのポルトガル拠点の構築に働いている。その働きで指揮官の1人ペレイラに認められ副舵手に抜擢され、戦士としてまた船乗りとして経験を積んでいる[13]。こののちマゼランはインドのコチンに行くことになるが[11]、その海域でイスラム勢力とポルトガルは雌雄を決することになり、1509年2月3日ディウ沖でおきたポルトガル艦隊19隻とイスラム船200隻の海戦でポルトガルは勝利しインド洋でのポルトガルの覇権を確立する(ディーウ沖の海戦)。この戦いでマゼランは5ヶ月コチンの病院に入院するほどの重傷を負っている[14]。1509年9月、回復したマゼランはペレイラ率いるマラッカ遠征に加わった。

社会人として調べ直してみると当たり前のことですが、ちゃんと下積み時代があるわけですね。いきなり船長任されて、いきなり世界周航なんて出来るわけがなく、しっかり修羅場を乗り越えて経験を積んで実力をつけていったようです。

■東回りルートでマレーシアまでは辿り着いていたマゼラン 西回りを目指した背景

上述のマラッカ遠征に関わるWikipedia引用の続きとなりますが、マゼランはマラッカ遠征に加わっていたとなると東回りルートでインドを経由してマレーシアまで訪れていたわけですね。

この時点でポルトガルは胡椒を除く多くの香料の産地がインドではなく香料諸島であること、ライバルであるスペインが西回りルートでの東洋航路を模索していることなどを把握し早期の香料諸島の覇権を急ぎ、まずは香料諸島への重要な中継拠点であるマラッカの確保に乗り出した。しかしポルトガルにとって最初のマラッカ遠征であるペレイラの艦隊はマラッカ王の策略によって大敗する。

しかしこの戦いはマラッカ王の策略でマラッカ側が勝利したようです。当時の東南アジアの人々も負けておりませんね。

いよいよ船長になるマゼラン

ルフィはゾロという仲間を見つけて「船長(キャプテン)」と呼ばれるようになりますが、マゼランは上述のような実績を積み重ねてようやく船長まで出世します。

ポルトガルの最初のマラッカ遠征は失敗に終るものの、遠征中の業績によってマゼランは船長の位を授かることになる[16]。家柄で地位が決まることの多い中世で、下級貴族出身ながら見習い士官から船長の地位にまで上ったマゼランの船乗りあるいは戦士としての能力は相当に高かったものと想像されている。インドの沿岸拠点の支配を固めたポルトガルは1511年4月、再度マラッカに大艦隊を送りこれを制圧する。このポルトガルのマラッカ制圧戦の功績でマゼランは指揮する大型のカラベラ船の1隻と個人的な奴隷(マラッカのエンリケ)を与えられた。

このエンリケが意外にも後々活躍することになります。

長くなりましたので今回はマゼランが船長になるまでで一旦話を終えましょう。ワンピースでグランドラインは度々出てきますので、複数回に分けてマゼランを考えみましょう。今回の興味の展開は以上ですが、マゼランたちが使った船はどんなものだったのか?船には何を積んでいたのか?船内の様子はどんな感じだったのか?その前兆となった同時多発テロはなぜ起こったのか?関心をもった学生やワンピース好きのみなさんも是非深掘りしてみてください。

■参考文献①今回のテーマを深掘り

■参考文献②筆者の基本セット

・『ONE PIECE公式漫画アプリ』
・教科書、用語集、人物辞典他

■あとがき

世界周航に出る前のマゼランの半生が実に興味深く、思った以上に長くなってしまいました。学生の頃は世界周航や西回りルートをキーワードにマゼランを答えておしまいでしたが、どんな経緯で彼が世界周航に臨んだのか、その航海がどうだったのか、そこにどんな苦労があったのか、調べてみると中身の濃い人生です。続きを書くのが楽しみです。

■おまけ


【次子作 ルフィ】

【次子作 ルフィ(もはやダークマターにしか見えない…】

ご覧いただきありがとうございました!
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