この連載は無料公開されている『ONE PIECE公式漫画アプリ』から中学校社会科の歴史、高校世界史や日本史への興味・関心を引き出していくプロジェクトです。今回は第6話モーガンの独裁性と過去回のモーガン像倒壊シーンから、米国によるイラク侵攻とサダムフセインについて関心を広げます。
【長子作:モーガン像の倒壊】
■圧政の独裁者モーガンと『サダム(サッダーム)・フセイン』
第6話でゾロとルフィの圧倒的な強さに海兵たちは怖気づきますが、モーガンは独裁ぶりを発揮します。
「ゴ・・・ゴ・・・ゴム人間‼︎?」
「た・・・大佐‼︎ あいつら・・・‼︎
我々の手にはおえません‼︎」
「ムチャクチャだ‼︎あんな奴ら・・・‼︎」
「それに・・・ロロノアゾロと戦えるわけがない」「大佐命令だ 今・・・弱音を吐いた奴ァ・・・頭 撃って自害しろ」
この後モーガンはゾロに斬られて倒れます。
このモーガンの独裁性と、過去回でルフィが爽快にモーガン像をぶっ壊すシーンが、ある人物を彷彿とさせます。
それが今回のテーマ、『サダム・フセイン』です。この人物が生存していた頃は、ちょうど筆者が学生の時で、2001年9月11日に米国で同時多発テロが発生し、そこから対テロ戦争、イラク戦争に突き進んでいった時ですから、この人物の事を鮮明に覚えています。今の学生さんは馴染みがないかもしれませんね。
Wikipediaにはこうあります。
サダム・フセイン(アラビア語:صدام حسين 、1937年4月28日 - 2006年12月30日)は、イラク共和国の政治家。スンナ派のアラブ人であり、イラク共和国の大統領、首相、革命指導評議会議長、バアス党地域指導部書記長、イラク軍最高司令官を務めた。軍階級は元帥。日本語の慣例では、彼の名をサダム・フセインと表記することが多いが、本項ではサッダームと表記する(詳細はフルネームの節を参照)。
ja.wikipedia.org
■重なり合うモーガン像の倒壊とサダム・フセイン像の倒壊シーン
調べたところ第5話がジャンプや単行本で登場したのは1997年のようですので、この数年後の2004年4月9日に独裁者の銅像がロープにかけられて倒壊させられるシーンが世界で現実のものとなりました。
テーマを考えた際はイラク戦争が先で、ワンピースが後かと考えていましたが、今回調べてみて逆の結果でした。ある意味尾田先生の先見性と言いますか、創造性が時代と重なったようです。
Wikipediaにも以下の写真が掲載されています。
Unknown U.S. military or Department of Defense employee - defenselink - Direct Image Link
defenselink - Article Link, パブリック・ドメイン, リンクによる
■独裁者サダム・フセイン
ワンピースのモーガン大佐は部下に自害を命令するといった独裁者像が描かれていますが、実在したサダム・フセインはモーガン以上の独裁者であったことが記録されています。
Wikipediaではこう説明されます。
政治スタイル
反対派への粛清、それによる恐怖政治、弾圧から諸外国から典型的な独裁者として恐れられた。
説明によると、サダムフセインはヨシフ・スターリンの政治スタイルを手本にしたとの説明があり、第二次世界大戦で反共十字軍を掲げて侵攻するナチス・ドイツに勝ったスターリンをかつてのサラーフッディーンと重ねて評価していたようです。その他、世界史に出てくる人物の中でも史上初の社会主義国をつくったとしてウラジミール・レーニン、愛国者だったとしてホー・チ・ミン、フィデル・カストロ、ヨシップ・ブロズ・チトーなども称賛していたようです。
さらに続きます。
警察国家
また、サッダーム政権下のイラクでは、幾つもの治安機関が存在し、市民の監視や反体制的言動の摘発に当たっていた。主な物では、総合諜報局、総合治安局といった組織で、相互連携することなく、別個に行動している。治安機関は、あらゆる市民社会に侵入し、タクシーの運転手、レストランの店員などが治安機関の人間である場合もあった。こうした秘密警察による監視網は、国民を恐怖という心理で支配するだけでなく、隣人、家族、友人同士が互いに互いを監視し、密告し合う社会が形成された。
(省略)
監視だけでなく、市民に対する恣意的逮捕や拷問も日常的に行われた。アムネスティによるとサッダーム時代には107種類の拷問がイラク各地の刑務所で行われていたとしている。その拷問はわざと苦痛を感じさせて、障害を残すような極めて残忍な拷問である。ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告によるとサッダーム政権下で約29万人が失踪あるいは殺害されたと報告している。
もはや部下の海兵に自害指示を出すようなレベルではありませんが、現実の独裁者とはかくも残酷なものです。
さらに個人崇拝にも力を入れていたようで、アラブや古代メソポタミアの過去の英雄たちを引き合いに出し、
サッダームはネブカドネザル2世やハンムラビ、マンスール、ハールーン・アッ=ラシードにならぶ偉大な指導者であるとされ、あげくの果てに偽造ともされる家系図を持ち出して預言者ムハンマドの子孫と喧伝された
ようです。
Wikipediaのサダム・フセインのページを読むとイランイラク戦争や、イラク近代化への功績など興味はつきません。
そして米国に捕まった後の人間味のあるサダム・フセインの様子を読むと、ニュースで伝えられるものとはまた違った一面を知ることができます。
興味の展開は以上ですが、なぜ米国はイラクへ攻め込んだのか?その前兆となった同時多発テロはなぜ起こったのか?モーガンからサダム・フセインに関心をもった学生のみなさんは是非調べてみてください。そしてあのイラク戦争の時代を生きた大人の皆さんも改めて調べてみてください。
■参考文献①今回のテーマを深掘り
■あとがき
過去に仕事でイラク人と商談することがありました。イラク紛争後だったのでバグダッドには入ることができず、隣国での打ち合わせとなりました。イラク戦争や数々の戦火を経ても日本製品はイラクの人々の生活を支えていた側面があったようで、感謝の言葉をいただいたのが今でも忘れられません。トップが独裁者だからといって国民全員が暴力的で狂信的な人々ではありません。その方々は当時の筆者よりもふた回り以上は年上のように見受けられましたが、実に温かみがある紳士的な方でした。担当市場が変わってからイスラム国の台頭があったので心配ではありますが、私が出会った方々が今も元気に同じ時代を生きていらっしゃる事を願っています。
ご覧いただきありがとうございました!
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