歴史人物の子孫を育てる雑草パパ新聞

幕末から明治に活躍した偉人の子孫の成長記録。育児コラム・知育教材・人生の回顧録も記載していきます。

【育児コラム 育児は育自】小旅行編:山本五十六と河井継之助という偉人を訪ねて その2

前回の続きです。山本五十六記念館の前に記念公園にある生家跡を訪ねてきました。偉人が育っていく環境は何だったのか考えました。

■参考①前回分
【育児コラム 育児は育自】小旅行編:山本五十六と河井継之助という偉人を訪ねて その1 - 偉人の子孫を育てるパパ日記
■参考②山本五十六記念公園生家跡
ゆかりの地 - 山本五十六記念館公式サイト|新潟県長岡市

どこか懐かしさを感じる木造二階建て

さすがに筆者が育った昭和後期と同じとまでは言わないものの、畳部屋の様子や二階に上がるための急な階段、そして二階を歩く際に木の軋む音などがどこか懐かしい気持ちにさせてくれました。




子どもの成長に必要な環境とは

考えさせられるのは、このような隙間風がガンガン入るような木造二階建てでも山本五十六のような偉人が育っていったということは、本質的に子どもの成長に必要なことは物質的な生活環境以外の何かであったのではないかと思うのであります。
中学時代にベンジャミンフランクリンの英著を猛勉強していた事実に愕きましたが、そうさせた動機は何だったのだろうか?と思います。
長岡観光ナビ(慧眼と大和魂と。世界的視野を持った男はなぜ散ったのか。 誠意と慈愛の人、山本五十六|旅の特集|長岡観光ナビ - 新潟県長岡市観光・旅行情報)によるとこうあります、

そもそも五十六は中学時代、植民地領主に反抗する民衆の指揮者になったアメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンを尊敬し、アメリカの自由主義に憧れ、人間の平等について自ら学んでいました。
 渡米して、英語力をつけるために読んでいたのはリンカーンの伝記。貧しい家に生まれたリンカーンがその生涯をかけて奴隷の開放、人類の自由を訴えたことを知り、深く感銘したといいます。五十六は写真が好きでアメリカ駐在時代にもよく撮影していたそうですが、被写体の多くは現地の女性や子供たち。日本を出て見聞を広げる中で大きな人類愛を育んでいったのでしょう。

若かりし五十六少年からベンジャミンフランクリンへの興味や関心を引き出したものは一体何だったんでしょう。
私は同時期の中学時代に司馬遼太郎の「燃えよ剣」に熱中した記憶がありますが、新撰組の記録や日誌原文を読もうとまではならなかった。
あの時代にそんな英著が身近にあった環境、両親なのか親族なのか、先生なのか、そういった環境資産が五十六少年の周りにはあったのかもしれません。
今年は暖冬のようですが、それでも2月の長岡は寒く、今日も霰が降っていました。五十六少年の勉強部屋が生家跡で紹介されていますが、あの二階の奥の部屋でベンジャミンフランクリンを読んでいたとするとさぞかし寒かったことでしょう。

次の河井継之助を考えるとつくづく思うのですが、偉人は本人の類稀なる実力ともう一つ時代のうねりによって輩出されるもので、時代のうねりというものは実に興味深いものです。

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